不安に思うこと
  
〜平成17年5月〜

 

 アインシュタイン
 ベル
 レオナルド・ダヴィンチ
 アンデルセン
 チャーチル英国元首相
 ヘンリー・フォード
 ウォルト・ディズニー
 クェンティン・タランティーノ
 トム・クルーズ
 ウーピー・ゴールドバーグ・・・


 これらの人たちはディスレクシアの障害を持ちながらも見事に才能を開花させた
方たちです。ADHD、ディスレクシア、高機能自閉症、アスペルガー症候群・・・
と色々な障害がありますが、
それらの特性を生かし、己を見失わず、諦めず、
頑張って行けば必ず道は開けると私は信じています。


 しかし、何が向いているのか、親としてどんな手助けをすればいいのか、
この先どうなるのか、と日々悩む毎日です。

 息子は現在4年生です。
そして3年後には中学生になります。
普通中学に入学させても今のような、個別指導などは望めそうにもありません。
今でも同級生と大きな学力の差があるのに、
中学に入ったらその差は縮めようがない位に大きくなるとわかっています。
 そして今は息子の障害を受け入れてくれている友達も、
中学生になったら、同じレベルの友達を求めて離れて行ってしまうかもしれません。
この先どうなるのか・・・
 本当に辛い現実です。

そして、何より本人がそれを身をもって体験しなければならないのです。
その中で生きていかなければならないのです。
 諦めず頑張れる力が息子にあるのか、正直私にはわかりません。
息子が現実を投げ出してしまえば、不登校など数々の問題行動を起すことも考えられます。


 息子の勉強を教えているとき、息子は体中を掻き毟ります。
蕁麻疹のように、痒くなるらしいのです。
そしてしきりに目を擦って、目も充血します。
『本当に勉強が嫌いなんだなぁ』と、つくづく思います。
そして、
『できない』『わからない』『疲れた』『ママ、怒らないでね』と言う息子を見ていると、
かわいそうにも思えてきます。
 こんな状態で勉強を教えて、果たしてどれくらいのことが頭に入っているのか...
自分のしていることに疑問さえ感じます。

 この先、どうしよう。
本当に毎日そんなことを考えます。
それは息子の学年が高くなればなるほど、痛切に圧し掛かってきます。
この子が生き生きと生きていける道。
楽しい人生を送っていける方法。
劣等感を持たず、目標に向かって進める道。
そして産まれて来た事を喜べる未来。
それが何なのか、まだ先が全く見えません。


 1年生のときに、息子に
『あなたは何の為に産まれてきたのよ!』と言う
ひどい言葉を投げかけたことがあります。
 そんなこと息子にわかるはずがありません。
そしてもちろん私にもわからないのです。
 
 通級制度にしても、全ての学校に教室がある訳ではなく、
息子のような発達障害を持った子どもに対しての福祉の力は
まだまだ弱いと思います。そして、対応も不透明です。
せめて学校ごとに通級のようなクラス制度を設けて欲しいと思います。
そして、専門の先生の配置を望みます。
 
息子の成長は普通の子どもよりもはるかに遅いのです。
でも、諦めたくはないのです。

 それでも、時はどんどん過ぎて行きます。


 近年息子のような発達障害児に対して、目が向けられてきましたが、
行政の対応は遅く、親から見れば本当にもどかしいです。
一日でも早く、そういった子供たちの未来が明るくなるような仕組みを望みます。

 息子に限らず子どもの成長は一律ではありません。
機械じゃないし、ロボットでもないのだからそれは当たり前だと思います。
ましてや産まれた月も違うのです。
 それなのに、
同じ学年で区切り、同じスピードで同じ勉強を進めていく。
効率のいいやり方だと思いますが、同じスピードについて行けない子供たちもいるのです。
 息子の言語性年齢は8歳数ヶ月と検査の結果が出ています。
つまり1年の遅れがあるのです。
それでも今、9歳だということで4年生の勉強をしています。
そこにはかなりの歪が生じます。
いくら頑張っても乗り越えられない壁があるのです。
そして私も、息子も苦しみます。 毎日が苦しいのです。

 一日、一日が終わっていくたびに、この先、どうしよう、と気持ちが焦ります。
1995年に産まれた息子は同じ1995年に産まれた子供達と同じ能力が望まれるのです。
そして、それが出来て当たり前だという世の中なのです。

 悲しく苦しいことですが、それが今の現実で、
私はその組織の中で息子の成長を促して行かなくてはならないのです。



 

ゲームとの付き合い方
  
〜平成17年6月〜

 

 息子はゲームが大好きです。
たいていの子どもがそうであるように、とにかくゲームばかりやっています。

 私も昔はゲームが大好きで、娘が物心ついて初めて記憶に残っている場面は、
『ママがゲームやっていた』姿だったそうです。
 特に専業主婦だった私は娘がまだ1歳になる前には『医療事務管理士』の資格をとったり、
『トレース』『児童心理学』『簿記』『アニメセルペイント』などの資格取得を通信教育で勉強したり、
趣味で小説を書いたりしていましたが、それが一段落すると、
日中は家事を片付けると、すぐにゲーム。夜も旦那と一緒にゲーム。。。
そんな生活でしたので、たいていのゲーム機械は持っています。

 
なので、娘が小学校に上がった頃は、うちはゲーセンの如く、
子どもたちの溜まり場になっていました。


 今の私の仕事はゲームを作る仕事なので、仕事以外では絶対ゲームをしません。
と言うか、見るのも嫌になりました。
新作ゲームや、テストプレーなどは娘にやらせている始末です。(^^ゞ
 このゲームとの付き合い方が今は結構な悩みになっています。
友達と遊ぶのも家の中でゲーム。遊びに行くにもゲームを持って行く息子。
果てはトイレにまで持ち込んでゲームをしています。
 ゲームを与える時にちゃんと時間を約束しなかった事もあって、
今では朝、起きるとゲームを持って階下に行き、着替えと食事を済ませると
学校に行くまでの間にゲームをやっています。

 
当初、ゲームを与えたきっかけは、文字に全く興味を示さない息子に、
少しでも文字に対して興味を持って欲しいという思いでした。

(1年生の終わり頃に与えたと思います)
 何故なら娘もゲームを通して、
文字を覚え東西南北を覚えたからです。
そして
息子は確かに、ゲームを進めたい一心で文字を覚えていきました。
好きなキャラクターの名前を書きたくて、私に文字を聞いてきたり、
それを紙に書いて自分の部屋に貼っていたりします。
 そして、マンガ本も読むことができるようになりました。
学校では音読の課題が毎日あるのですが、かなりスラスラと読めるようにもなりました。
 でも、ゲームをやっては、うまくいかないとイライラしたり、大声を出したり、
ゲームに文句を言ったりしています。(最近はさっさと他のゲームを始めたりします)
 一応、私の声かけで、ゲームをやめることはしますが、
ちょっとゲーム時間が長いのが悩みのタネです。 
かと言って、ゲームをしていないと何をして遊べばいいのかわからず、
家中をウロウロ… そして
『ママはゲームばっかりしていていいなぁ〜』と言います。
                
↑仕事です。

 今の時代はゲームで友達と交流を持ったり、お互いゲームでキャラを交換したり、
攻略方法を教え合ったりして、遊ぶことが多く、ゲームを持っていないと
仲間に入れてもらえないという理由で子どもにゲームを買ったお母さんのお話も聞きました。

『外で遊びなさい』と言っても治安が昔より悪くなっているので、それはそれで心配です。
公園もずいぶん寂しくなりました。
 たまに外で遊んで帰って来ると、ドブの中を探検していたり、
とんでもなく遠いところに行っていたり、話しを聞くと驚かされることも多いです。
 私も小さい頃は自転車で結構遠くまで行っていましたが、今は交通量も増え、
息子も祖父から自転車の乗り方は教えてもらい、乗れるようになったのですが、
『危ないから』と言う理由で、普段は自転車を使うことを禁止されています。

 家の中で、ゲームをしていないと思えば、押入れなどを使って、かくれんぼをしていたり、
雨戸を閉め切って部屋の中を暗くして、おばけごっこをしていたり、
とにかくあまり外で遊ぶことはしないのが現状です。
 娘に至っては、ゲームをしながらPCも使っている有様で、友達が遊びに来ていても、
一人は本を読んでいたり、一人は絵を描いていたり、一人はゲームをしていたりで、
一緒に遊んでいると言うよりは、各々家で一人でもできるのではないかと思ったりします。
 最近は息子を交えて3〜4人で一緒のゲームをすることも多くなりましたが、
4年生の息子は足手まといになることもしばしばで、先日の日記に書いたように、
よく叱られています。それでもやっぱり一緒にゲームをするのが好きなようです。

 今の世相なのかもしれませんが、ゲームの普及、PCの普及でコミュニケーション不足に
なったり、
思ったことを言葉で伝えられない子どもが増えているように思います。
 月に1回くらいある、『旗当番』の時に思うのですが、
自分から挨拶をする子どもが少なくなったように思います。
 特に、携帯でメールをしたり、PCでメールをしたり、昔は言葉で伝えるべきものが、
無機質な文字になり、受け取り手の感情で、その文章も正しく伝わっているのか心配に
なることもあります。メールは相手の顔が見えないので、
感情の相違などもあると思います。
 娘は学校で毎日顔を合わせる友達といちいちメール交換をしたり、電話ですぐに済む用事も
メールをしたり、大晦日には複数の友達と 新年を迎えるまでメール交換をし続けるのが
年末恒例行事になっています。
 チャットが原因で事件が起きた事もしばしばニュースで見かけますが、
相手が見えないので、特に知らない人とのやり取りには気をつけて欲しいと
娘にはよく言っています。


 しかし息子はディスレクシア(読み書き困難)なので、
言語科の先生から
PCの使用を勧められています。
そして、PCを使って、色々な言葉や感情を表現できるように上手にPCを使っていく方法を
考えています。自分の書く字に対し
『僕の字はきたないから・・・』と劣等感を持ち、
書くことに抵抗を示している息子もPCで文字を打ったり、絵を描いたりするのは楽しいようです。
 ただ、慣れない物にには抵抗を示す息子はやっぱり手軽なゲームをしている時間のほうが
多いです。
 そして、PCを教える前提にはローマ字を覚えさせなくてはなりません。
少しのアルファベットは覚えてきているのですが、キーの指使いまで教えるとなると
結構な時間がかかります。
そして何より
『忍耐力』の少ない息子はいちいちPCを立ち上げる時間ももどかしいようで、
最近はあまり自分のPCを使うことはなくなりました。
 時々、私の仕事を覗いているので、時間がある時には教えているのですが、
飽きてくるとさっさと自分のゲームを始めてしまいます。


 もっとPCを便利に使って、自分の世界観を広げていって欲しいとは思っているのですが、
それにはまだ時間がかかりそうです。



 

   嘘 ・ 隠 し 事
    
〜平成17年6月〜

 

 言葉の苦手な息子は嘘が上手ではありません。
すらすらと言い訳や説明もできません。

何か嘘や隠し事をする時には必ず
『忘れた』『わからない』『覚えていない』と言います。
 例えば他の子どもとトラブルを起こした時にも何か理由があるはずなのですが、
息子に聞いても
『忘れた』と言います。 
トラブルを起こす事はいけないことだし、
そうさせない為にも何が原因だったのか私はどうしても知りたいと思います。
そうしないとまた同じことを繰り返してしまう恐れがあるからです。
 
息子のどういう思い、考えがそういう行動に出たのか私は知りたいのです。
しかし息子は何度聞いても
『忘れた』と言い、しまいには口をつぐんでしまいます。
これでは対処のしようがありません。

一緒に考えて
『じゃあこうすればよかったね』などと話し合うことすらできません。
 息子はそういう時に一体何を考えているのでしょうか。
説明の言葉がわからないのでしょうか、それとも結局怒られることには変わりないので
言わないのでしょうか、
それとも自分の考えをまとめることが出来ないのでしょうか?

 1年生の時に『女の子を給食の時間につねって泣かした』と連絡帳に記載してあり、
息子にその理由を聞いたのですが、やはり
『忘れた』との返答でした。
 幸いそのお子さんのお母様とは仲が良かったので、お詫びの電話がてら理由を娘さんに
聞いてもらったところ『お盆の下げ方を注意したらつねられた』との事でした。
 保育園時代から息子と一緒の娘さんのお母様だったので、息子の行動はよくわかっている
ようで
『Yは理由がなければ何もしないよ。何かするのは理由があるからだよ』
反対に私を気遣って下さいました。
 確かにほんの些細な事でもきっと理由は存在するはずです。
他の子どもたちなら気にならない一言でも息子は過敏に反応することや、
言葉の意味を理解できないなどの理由もあると思います。
 ですが息子はその理由を
『言葉』で表せません。
普段はアニメの話や、電車の話になるとうるさい位に喋るのですが、
既に起こってしまった事に対しては本当に忘れているのか、言いたくないのか、
言うべき言葉がわからないのか、一切喋ってはくれません。
 時にはもどかしく、悲しくさえなります。

 そして学校の備品を無断で持ち帰る事もあります。
娘のゲームを勝手に使ったりすることもあります。
 これらの理由はたぶん
『欲しかったから』『ゲームをしたかったから』なのだと思いますが、
家に見慣れないものがあれば私はすぐに気がつきます。
何故なら息子は勝手に持ち帰ったものを隠すのではなく、平然と部屋に置いてあるし、
娘の前で平然と娘のゲームをしたりしているのです。

 当然私は見慣れない物に対して息子にどうしたのかと聞きます。
そして息子は黙ります。
『これは学校の物じゃないの』『どうしてここにあるの?』などと矢継ぎ早に私は詰問します。
『勝手に持ち帰ったら泥棒と同じだよ』『何でそんなことをするの』と黙っている息子を
見ていると
どんどん私の怒りは湧いて来ます。
 最終的に息子は無断で持ち帰ったことを認め、
『ごめんなさい』『もうしません』と言うのですが、
どうして持ち帰った物を堂々と部屋に置いておくのか理解できません。
 隠せと言っているのではなく、見つかれば叱られることは解っているのに、
何故持ち帰るのか理解ができません。当然勝手に持ち帰ったものを使うこともしません。
 保育園の時には画鋲に興味があったらしく、掲示板にあった画鋲を何個も持ち帰った事も
ありました。水鉄砲を何個も持ち帰った事もあります。
当然私は翌日息子と保育園に行き、息子から先生に返させ、謝らせました。
 小学校3年生の時には授業で使う『色砂』を隣のクラスの分を持ち帰り、
そのクラスが授業が出来ないこともありました。
その『色砂』も息子の部屋に堂々と置いてありました。
 たまに本当に余った教材をもらった時は自分から
『これは盗ったんじゃないよ。
余ったからもらったんだよ』
と言います。
そしてそういう物はちゃんと組み立てたりして活用しています。
 『色砂』は全く手付かずの状態で部屋に放置してあったので、連絡帳にその旨書き、
自分で先生に返すように言いました。
『ママも一緒に来て』と言われたのですが、
『自分のした事なんだから自分で謝りなさい』と、付いて行きませんでした。

 先日は、夕食の後、キッチンのテーブルで息子がゲームをしていました。
すると、一緒のテーブルに居た娘が急に
『ちょっとそのゲーム見せて!』と言い出しました。
何のことかと聞くと娘は
『私のゲームの音がした!』と言うのです。
ところが息子は頑なにゲームを見せようとしません。
娘の
『見せて!』と言う声と息子の『後で!』と言う問答が続きました。
そのうち息子は泣きながら
『後で、後で』と絶対にゲームを手放しません。
 私はしばらく放って置くことにして、お風呂に入りました。その間も娘の罵倒と
息子の泣き声が続いています。 息子が勝手に娘のゲームを使っていたことは明らかです。
お風呂に入りながら『何で勝手に盗ったゲームを娘の前で、しかも音を出して
(ゲームは音を消すこともできる)やっているのかなぁ』
などと考えていました。
 その間30分以上でしょうか。私がお風呂から上がっても尚も息子は泣きながらゲームを
手放しません。そして娘は苛立ちから泣いています。

 息子に何で返さないのか、すぐに返すように言いましたが
『後でお姉ちゃんの部屋に置いておくから』と泣きながら言います。
何ですぐに返さないのかと聞くと
『お姉ちゃんが怖いから』と言います。
『勝手に使ったあなたが悪いんだからそれは当然でしょう』と私は言い、
今すぐ返すように言いました。

 しかし息子は泣くばかりでゲームを手放しません。仕方なく
『じゃあ私に渡しなさい』と言い、
何とか息子からゲームを受け取りました。息子に
『お姉ちゃんに謝りなさい』と言うと、
すぐに
『ごめんなさい』と泣きながら謝っていましたが、ほんの些細な出来事がここまで大事に
なってしまいます。私の母は側でおろおろしていましたが、こんな問答は息子が小学校1年生の
時から度々起こっているので、すぐに仲裁には入らないようにしています。
 息子にはもう
物事の良し悪しがだいぶ解っている。
解っているが故にその事を隠そうとしている。
それなら今の時期に徹底的に悪い事をしないようにしていかなければなりません。

 また、昨夜は玄関の靴箱の横に娘のマンガ本を隠してあったのを見つけられ、
その時はすぐに
『ごめんなさい』と謝ったのですが、娘は『何でかくしたのよ!理由をいいなさい!』と尚も詰め寄ります。 息子は小さなことで『わからない…』と言い、それ以上は口を噤んでしまいます。娘は『理由を言うまで家に上がるな!』といい、息子はその場で立ち尽くして
いました。
 やがて食事時になり、私も息子に
『欲しかったからじゃないの?』とか『その本を持ってなかったから欲しかったんじゃないの?』(娘の本は息子の一番好きなキャラクターの本だったので)
などと、言葉のヒントを与えてみたのですが、息子は一向に
『わからない』と繰り返します。
これでは娘も納得できないだろうと、またしばらく時間を置くことにしました。
 そして、食事が終わり、お風呂も済ませ、時刻はもう9時になっていました。
息子が立たされてから実に3時間が経っています。
 その様子に見かねた私の母が『スラスラと言い訳を出来る子どもも居るけど、Yにはそれが
できないんだよ。お前が(私)何かYに助言を与えていたみたいだけど、それすらYには
言えない子なんだよ。もうこんなに立たせて居たんだから充分だと思うよ』
と、息子を風呂場に
連れて行き、入浴をさせました。私は娘と食器を洗いながら
『そういえばあなたも小学校の時は
何か叱っても絶対何も言わなかったよね。あれって、叱っている方はすごくイライラするよね』

『あなたなら、少しはYの気持ちも解るんじゃないの?』
などと話しながら娘の気持ちを落ち着かせました。
 
でも、ある意味徹底的に容赦なく息子を躾しているのは娘かもしれません。

 例えば宿題を手伝うのも私のやり方では甘い、と娘は言います。
『解らなければ自分で教科書を見ろ!』と言うのが娘の言い分です。
なので、息子に『私とお姉ちゃんとどっちに宿題を手伝って欲しい?』と聞くと
即答で
『ママ!』と言います。
私の場合は私が教科書を開いて
『う〜んと、それは〜』と、まるで私が宿題をやっている感じに
なってしまいます。そして
『ほら、ここに書いてあるでしょ〜』という教え方です。
家での息子への対応の仕方は
私が『母親役』娘が『父親役』でしょうか。。。

 しかし息子は叱られた事に対しての立ち直りはすごく早いです。
先日の出来事も、その後(1時間くらい経って)娘に話しかけて、返答をしてもらえず、
『何でお姉ちゃん、機嫌が悪いのかなあ。話してくれないよ』と私に問いかけてきます。
私が
『あなたが勝手にゲームを使ったからでしょ』と言うと『でも、ボク謝ったよ』と言う返事。
『例え謝ったとしてもすぐには許せないことってあるでしょ』と尚も私が言うと、
『ああ、そうなんだ』と言い、それ以上は娘に話しかけませんでした。
 また、今朝は娘の部屋で娘のしているゲームを一緒に見ていました。
 あれだけ揉めて、泣いていたのに、この子は本当に解っているのだろうか、と
不安にさえ思います。
状況判断、人の立場にたって物事を考える力が弱い息子。
そういった見えない
『気持ち』を教えていくことはこれからもまだまだ時間がかかりそうです。



 

    片 付 け
   
〜平成17年11月〜

 

 日記でもよく書いていますが、我が家の娘と息子は片付けが出来ません。
出来ない、と言うよりは
『散らかっている状態』の認識がなく、
また
『散らかっている状態』に嫌悪感が全くありません。

 よくテレビで
『片付けられない女性』というタイトルで、特集番組があったりしますが、
あるテレビを見ていたら、1件家で他の部屋は綺麗なのにその娘さんの部屋だけが壊滅的に
片付けられていない状態というのを見たことがあります。
 もちろん一人暮らしの女性では家全体がゴミ屋敷のようで、外に出る時も、玄関の覗き穴から
外に人がいないのを確認してからゴミをまたいで外に出る
(要するに自分の家がゴミだらけなのを他人に見られたくないという事らしく、この場合汚れている状態が恥ずかしいという認識
あるようです)
という様子を見た事もあります。

 しかし我が家の場合は幸か不幸か、元々2階部分には1部屋しかなく、その後建て増しをし、
奥に2部屋を増設したので、
嫌でも手前の部屋を通過しないと奥の部屋へは行けません。
 子どもが小さい頃は私が手前の部屋を使っていたのですが、子どもが友達を連れて来るように
なってからは、見られたくないもの、いじられたくないもの等があるので、
私は奥の部屋へ移動しました。
 そして、もう一つの奥の部屋に2段ベッドを置いて、娘と息子の部屋にし、
一番手前の部屋は共有スペースとして使っていました。
 
しかし、娘が小学校高学年になると、息子と一緒の部屋を嫌がり、
部屋を別々にする事にしました。


 手前の部屋は10畳。奥の部屋は6畳ずつで、既に私がその一部屋を使っていたので、
残るは手前の部屋か奥の部屋になります。
 娘は広い部屋がいいと手前の部屋を選び、息子は私の部屋とスライドドアで
仕切られている見通しのいい部屋を選びました。


 
この状況は、とかく子どもが引き篭もって何をしているのか解らないといった状態には
ならず、常に私の目に触れるので、そういった面から見れば
理想的かもしれません。

 
 しかし、息子もやがて友達を連れて来るだろう時に、娘の部屋を通過するのはあまり良い
状況ではないのではと、娘を説得したのですが、どうしても(息子も私の隣の部屋がいいと
いう事で、双方意見が合ってしまったので)手前の広い部屋がいいと娘と息子の主張通り、
今の配置に落ち着きました。

 
 先のテレビで見た片付けられない女性の部屋は当然どの部屋からも独立しています。
親は当然『片付けなさい』と言うらしいのですが、その女性は既に成人していて、
しかも国立大学院生です。
部屋は散らかり放題。しかし
どこに何があるかは完全に把握しているのです。
 
ちなみに我が家の場合は娘も息子もどこに何があるのかは全く把握しておらず、
常に探したり、私に聞いたりしてきます。(私が我慢の限界で掃除してしまうので)


 我が家はそんな状況なので、私が自分の部屋にたどり着くまでには、
娘の部屋を通り、
息子の部屋を横切り、自分の部屋へ到着します。。。

当然散らかっている現状を毎日毎日見ないといけません。
 そして、夜にトイレに行くときなどには、娘の部屋の散らかっている物につまづいて
倒れる事もしばしばあります。(電気は点けないで行くので)
 常々娘には、
出口に向かう直線距離上には絶対に物を置かないように言っているのですが、
カバンやら、服などが散乱していて、私は忍び足で、障害物を避けながらトイレに行かないと
いけません。(T T)

 ここで私が一番問題に思っている事は、2人とも
『散らかっている状態』に嫌悪感が全くない
という事です。なので、裏を返せば私がいくら一生懸命に掃除をしても
『片付いている状態』
気持ちいい
、とは感じないのです。 これではいくら言っても掃除をするはずがありません。
 そして私の監督の元、2人に掃除をさせるとこれがまた下手くそなのです。
まず2人とも、
床に散らかっている物をベットの下にまとめて隠します。
それを注意すると、
今度は一箇所に縦に積み出します。
 
積む、積む、とにかく積む…そして探し物をすると当然その積んだ物は一瞬で崩壊します。
娘の場合は脱ぎ散らかした洋服をが〜〜っとまとめて洗濯場に投げ込みます。
そして洗濯仕上がった物も、部屋に置きっぱなしで一向にタンスに仕舞おうとしません。
 友達が遊びに来ても部屋を片付ける事もせず、息子の友達が部屋を通過しても平気で
ブラジャーが床に落ちていたりします。。。
 
 そして息子ならまだしも、娘も何週間に1度にプリント、テスト用紙をまとめて
私の机の上に置いて行きます。当然締め切りを過ぎたプリントもあります。
『何故?』…私の頭はその疑問で一杯です。
 何故散らかっていても平気なのか、私にはどうしても理解できません。
娘はとりあえず勉強は自発的にする方なので
『勉強しなさい』と言った事は殆どありませんが、
片付けなさいと言う言葉は今まで何百回言ったかわかりません。
 息子に至っては
ランドセルを持って来なさい』『時間割を揃えなさい』『勉強しなさい
部屋の片づけをしなさい
と、更に要求は多くなります。
当然、
いっぺんに複数の要求を出すと息子の頭はパニックになるのでまずランドセルを、
そして
時間割、ときて、机の上が散らかっていると勉強が出来ないので、片付けを、
そしてやっと
勉強という順序になります。
 
それが我が家の日常になっています。

 私が我慢できずに掃除をしてしまうのがいけないのだと、何日か片付けずにしておいた事も
多々ありますが、現状は変わらず、改善も一向になされません。

それはそうです。娘も息子も
『散らかっている状態』に嫌悪感が全くないのですから。
しかも
どこが散らかっているのか解らないとさえ言い出します。

 無頓着…なのでしょうか?
例えば自分の好きなマンガの本も、床に置いてあっても、本棚に綺麗に片付けなくても
一向に気にしないのです。 多少破れても、カバーがなくなっても気にしません。
この性格の改善は果たして出来るのでしょうか?

 テレビなどでは専門化がそういった掃除の出来ない人たちには
脳のある部分
異常があると話していた事を聞いた事もありますが、
娘と息子の部屋を見ると確かにそういった感じを受けたりします。

 何度も片付け方を教え、一緒に片付け、綺麗になった部屋で
『気持ちいいね〜』
片づけを習慣化させようと努力しましたが、
娘や息子にとって、片付いている部屋は
どうも居心地が悪そうです。

 反対に娘が
ママは神経質過ぎるんだよと言った事がありますが、
う〜ん、そうか…私が変なのかなぁ〜…と、思ったりもしてしまいます。(笑)

 しかし娘はいずれは嫁いで行く事になるでしょう。
その時に相手の男性が気の毒で仕方がありません。
せめて最小限の事を教えるのが親の務めで、後は運悪く娘と結婚してしまった男性の度量の
広さ
に期待するしかありません。
※結婚の際には返品お断りと、言っておきたいと思います。

 
後はもう毎日の根競べです。
最初に書きましたが、私の部屋に行くには娘と息子の部屋を通過します。
見ないでおける状況ならば諦めてしまうかもしまいませんが、
毎日毎日目につく通過地点に存在している娘と息子の部屋。
 娘が、息子が、この家から旅立つその時までしつこくしつこく言い続けたいと思っています。



 

    怪     我
    
〜平成17年10月〜

 

 子どもに怪我は付き物です。
言い換えれば怪我をしながら
『危険』を学んで行くのかもしれません。

 しかし、圧倒的に女の子より男の子の怪我の方が多いような気がします。
それはきっと生まれ持った性質、男女の性差によるものと思いますが、
ただでさえ落ち着きのない息子は本当によく怪我をします。。。
 昨日(9/30)も通算3回目の救急車要請になりましたが、
今までに頭を2箇所、2針と3針、足を10針、火傷保育園の頃に女の子と喧嘩をして
お互い顔を鉛筆で刺し合ったり(その時の鉛筆の芯が未だに額に残っています)、
ドアに指を挟んで生爪をはがしたりそして昨日(9/30)の野球の木製バットの直撃…
 小さな怪我を入れたらそれこそ数えきれません。

 
思えば娘と一緒に救急車に乗った事はありません。
タイヤから落ちて頭を打って、脳神経外科に連れて行ったのが、最大の出来事でしょうか・・・ 
後は、大病も怪我もせず今に至っています。

 
しかし息子はとにかく一つの事に気を取られると、周りが見えなくなってしまい、
普通なら回避できる怪我が殆どだと思われます。

 頭の傷も、保育園のプールで走って転んで蛇口に打ち付けたのと、
保育園の階段でふざけて遊んで後ろ向きに倒れたものです。
足の怪我は娘と喧嘩して、八つ当たりにガラス窓を蹴ったのが原因でした。
生爪も、火傷もちょっと気をつければ回避できた傷だと思います。

 バットに当たったのも、一緒に遊んでいたお友達の話しによれば、
バッターの側に近づいてしまい、振ったバットに当たったとの事で、
殆ど自爆です。。。 
 たぶん何か気になる事があり、バッターの側に近づいてしまったのか、
危険予知が出来なかったのか…
 通常であれば、バットを振れば後ろまでバットが回る事は容易に想像できる事と思います。
その危険範囲が予測出来なかったのか、どうしてなのか、
今となっては息子も当たった瞬間の事を忘れてしまっています。


 それでも、お友達が知らせに来てくれた時には目の前が真っ暗になりました。
ここ数年大きな怪我もなく、夏休み後も順調に過ごしていた矢先でしたので、
悪い想像ばかりが頭の中を駆け巡り、息子を見るのが正直怖かったです。
それでも、かろうじて目の上1cm程の場所で、目には怪我もなく、開けていたので一安心しました。
 息子は傷口を押さえ、泣いていましたが、家に連れて来ると、少し落ち着き、泣き止みました。

 時間は5時30分を過ぎていましたし、思いつく病院もなかったので、救急車を要請し、
家の前でお友達に囲まれながら到着を待ちました。
 息子には予め
『もしかしたら傷を縫うかもしれないけど、必要な処置だからね』と、心構えを
させておきました。
しかし、足を縫ったときの恐怖が未だ癒えず、息子は
『縫うのイヤだ…』
泣きそうな表情でした。
※足を縫った時は麻酔無しで、先生が馬乗りになって押さえつけての事だったので、
  よっぽど怖かったのだと思います。


 側にいたお友達が口々に『あ・俺もここ(額)縫った事ある』とか、『俺も救急車乗った事ある』とか
『俺の時は呼吸が止まったんだって』
などと、色々怪我自慢をしてくれます。
しまいには息子も10針縫った足をわざわざ靴を脱いで見せたりと、にわかに盛り上がってました。
 
そんな話を聞きながらつくづく男の子って怪我ばっかりするんだな〜と溜息が漏れました。。

 そして救急車が到着する頃には、近所の人も遠まわしに見ていて、かなりの人数の中、
ストレッチャーで救急車に運ばれて行きました。
 救急隊員の方が『ぶつかったバットはどこかな』と、質問をし、その時に私もそう言えば
バットを持っている子がいない事に気が着きました。
 お友達の話しによるとその子は3年生の子で、もう帰ってしまったとの事でした。

 救急車の中で、状況の説明、本人の意識確認、怪我の状況の確認をし、
行き着けの脳神経外科に搬送してもらう事になりました。
 救急車が走り出すと、お友達の『じゃあな、Y!』と、声が聞こえて来ます。
走り出す間、ずっと外で待っていてくれたようです。

 救急車の中の息子はグッタリとして、眠そうでしたが、隊員の方の問いかけには素直に答え、
時々私の顔を不安そうに見ていました。
 どうやら意識もあり、怪我の出血も止まって落ち着いている息子を見つめながら、
ふとバットを当ててしまった子の事を考えました。

 
私は自分が傷つくより、相手を傷つけてしまった方がより心が痛みます。
やはり息子と同じくらいの歳に、仲の良かった友達に過ってブランコをぶつけてしまい、
顔を押さえてしゃがみ込んだ友達の背後から
『大丈夫?』と声をかけた時に砂場に落ちた
血を見て凍りつきました。

 辺りの景色は全て白黒で、その血だけが真っ赤な色で私の脳裏に焼き付きました。
その時のショックを今でも鮮明に覚えています。
 家に帰った私は、仕事が休みで家にいた母にその事を話すと、母は急いでお菓子の包みと
封筒を用意し(たぶん中にはお金が入っていたと思います)急いでその子の家に向かいました。
 幸い病院に行くほどの傷ではなかったらしく、友達も元気そうだったので本当に安心しました。
母とお友達のお母さんとのやり取りで、お金は受け取ってもらえませんでしたが、
気持ちだけとの事でお菓子は受け取ってもらえました。
 
そして翌日学校で『あのお菓子、夜にみんなで食べたんだよ』と、
友達に笑顔で言われた時に本当に良かった。そう思いました。


 そんな思いを今、その3年生の子がしているのかと思うと心が痛みました。

 病院に着くと、早速先生が出てきて、頭をなるべく動かさない様に車椅子へと移動しました。
そしてすぐにレントゲン室へ。
 私も救急隊員の方々にお礼を言うと、レントゲン室の前の廊下で息子が出てくるのを待ちました。

 幸い頭部に異常は無く、また、視神経、その周辺の血管からの出血もなく、
先生から『木製のバットでよかったですね』と言われました。
 そして傷口の診察になると、息子は不安そうにしきりに先生に
『縫うの?』と聞きました。
先生は『うん。大丈夫。テープで止めるからね』と説明して下さり、長さ1〜2cm、幅0.5mm位の
テープで傷口を縦に数本、横に1本止めました。
 そして『傷口が塞がるまでこのテープは取りませんから、自然に取れるまで触らないで
下さい』
と言いました。何とか縫わずに済み、私も一安心。
 しかしその間、傷口は濡らさないように言われ、また、塞がるまでに1ヶ月位かかるとの説明を
聞き、
『ああ〜しばらくは赤ちゃん抱っこで頭を洗わないといけないんだ〜』と心の中で溜息をつきました。

 化膿止めのお薬を貰うと、タクシーを呼んで家に帰りました。
そしてお風呂場で体についた血を洗い流し、食事を摂らせました。
途中、塾から帰って来た娘に事の次第を話すと
『ばっかじゃ〜ん』と、一言。。。

 息子は疲れからか、早くに寝ましたが、24時間はしっかり様子を見ていて下さいとの
先生の言葉通り、私は数時間おきに息子が息をしているかどうか様子を見ながら

あらためて本当に目じゃなくてよかったと思いました。
 もしも目だったら…と考えるとぞっとして中々眠ることが出来ませんでした。
 鎖でも着けて、一歩も外に出したくない。もしも打ち所が悪かったら、失明でもしてしまったら…
などと考えると、これからもその
不安と付き合いながら息子を育てるのが怖くなりました。

 しかし翌日、そんな私の心配も知らず、早寝した息子は7時前から起き出し、ビデオを見たり、
家の中をウロウロしたり… 私も寝ていられず、また、今日も病院に行かなければいけなかったので、7時過ぎに起きました。そして病院に行く為に身支度している私に息子は
『お腹が減った〜』
『ウインナー作って来て〜』と、ベットで横になって、ビデオを見ながら言いたい放題。。。

 病院には診察開始40分前に着きましたが、土曜日という事もあって既に20番目でした。
テープの上から消毒をしてもらい、また2〜3日後に来るように言われ、家に戻ると私はもう
グッタリ… 倒れこむ様にベッドに入りました。

 本当は今日は父(祖父)と出かける予定だった息子。さぞかし叱られるだろうと思ったのですが、
息子の怪我を見て一言『そう言えば俺も4年生の時に授業中にバッドに当たって先生が自転車で病院まで連れて行ってくれたな〜』『あれ?あの頃は救急車はなかったのかなあ〜』と呑気な一言。
 更に私が息子に
『何でバットを振っている側に行ったのよ〜』と言うと息子の代わりに父が
『側でバットを振っているのを忘れちゃうんだよな〜』と… 
そして息子も
『うんうん』と…

 しかも息子に向かって『どうだ?頭を叩かれて、少しは頭が良くなったか?』と…
しかし
『あ!そう言えば、今日の勉強で二桁の足し算を暗算でやったよ!』と私。(笑)
 父は満足そうに『そうだろう〜。頭を叩かれると良くなるか、悪くなるかのどちらかだからな〜
何ならもう一発叩かれて来い』
と。。。
 
『いや…そういう危険な賭けは一度きりで…』と私。

 息子の多動の遺伝子を見つけた気がしました…
しかも二人とも同じ左目の上。
 
今は亡き祖母も相当苦労をしながら父を育てたんだろうな〜と
改めて祖母に想いを馳せました。