現在の様子(病名の変化)



 ADHDと一言に言っても、色々な症状があるのだと、親の会や、通級を通して感じました。
息子は年々落ち着いて、友達とのトラブルも少なくなりました。
だけど、私にはどうしても疑問に思うことがありました。

 
息子は読み・書き、が極端にできないのです。
他のADHDの子供達と比べてもその差は歴然で、未だにひらがなを忘れてしまったり、
カタカナを書けなかったりします。

 
心のどこかで私は納得できないものを感じていました。
LDを持ち合わせているのかもしれませんが、計算問題などは出来るのに、
その
文章を読み、理解することが困難なのです。

 息子の怒りは時として、思い通りに意思の疎通ができない苛立ちを感じさせました。
そして、毎日遊んでいる友達の名前も覚えられないのです。

 その答えが昨年出ました。
『ディスレクシア』=読み・書き困難 と診断名が変わったのです。
私は
『読み・書き困難』と言語科の先生から説明を受けたときに、
全てを納得することができました。
もちろん多動性も持ち合わせているでしょうが、彼は、言葉の意味、理解、
表現力が弱い為に、多動になってしまう。そんな面があるそうです。

 
だからと言って、息子への対応が変わるわけではありません。
息子は今も週に1回、○○小学校の通級へ通い、
週に1回■■療育園の言語科で指導を受けています。
また、在籍校では週に数回個別指導を受けています。
それは4年生に進級しても変わることのないことです。


 
しかし、息子は成長しています。
その進みは他の子どもと比べれば、はるかに遅くゆっくりです。
でも、決して歩みを止めることはなく、一歩一歩着実に、確かに成長しています。


 去年できなかったことが、いつの間にかできるようになっている。
泣いたり、怒ったりしない日がいつの間にか多くなった。

 
そして、一昨年、昨年の運動会では、見事にみんなの輪の中に混じって、
団体競技に参加しました。


 その背景には、先生方の言葉にはできない努力と愛情があることと思います。

 
『人間関係は鏡』
そんな言葉を聞いたことがあります。
自分が笑えば相手も笑う。自分が怒れば相手も怒る。
 他の子どもと比べてしまえば辛いことも多いですが、
その分できたときの喜びも大きいと思います。
他の子どもが当たり前にしていること。それを息子が出来たときには大きな喜びになります。
私はたくさんの喜びをこれからもきっと息子から与えられることだと思います。

 1年生の時に、初めての多動児受け入れと言うことで、担任になって下さった先生は、
試行錯誤しながら、息子と付き合って下さいました。
 今はもう、退職なさっていますが、私も息子も生涯忘れることはないと思います。

 そして、2年生、3年生と担任を受け持って下さった先生。
本当によく息子を見て、広い視野で息子を後押しして下さいました。
そして、他の生徒への配慮も深く、息子はクラスの中で他の生徒にも支援され、
認められる存在になりました。


 かかりつけの小児科の先生の
『病名にとらわれる事なく、
何が一番この子にとって幸せなのか考えましょう』
の言葉には深く感銘を受けました。
また、この先生のお陰で■■療育園をご紹介頂けました。

 短い期間でしたが学童保育の指導員の先生方にはとてもお力になって頂きました。
入所しようかどうしようかと迷っている私に
『大丈夫ですよ』と、優しく後押しもして下さいました。
そして、息子と同じ目線で物事を見て、体を張って息子に付き合って下さいました。

 ○○小学校、通級指導教室の先生方の、根気と工夫と大きな愛情に包まれて、
週に1回のその日を息子は楽しみにしています。

そして、このHPを作るきっかけを下さったのも○○小学校の通級指導教室の先生の
アドバイスでした。

 ■■療育園の○○先生は1年生の頃からのお付き合いですが、息子を叱る事無く、
根気よく息子を受け止め、褒めて、大きな成長へと結びつけて下さいました。
そして、落ち込む私を励まし、たくさんの助言を頂きました。


在籍校の校長先生、他の全職員の方々のお力にも深く感謝しております。

 この場をお借りして改めて御礼を申し上げます。
ありがとうございます。


 
そして息子のことで悩み、泣いている私を時として無言で見守り、時として励まし、
このHP制作に大きな力を貸してくれた、今は中学2年生の娘にも感謝しています。


 また、親の会の会員様を始め、数多くの方の励ましと助言を頂き、
ここまで進むことができました。

 私と一緒に泣き、笑い、時には怒り、落ち込んだときにはすぐにかけてけてくれた
友人たちにも深く感謝しています。
憂さ晴らしのカラオケに何時間も付き合ってくれてありがとう。これからもよろしく。。。^^

 息子との付き合いは生涯続きます。
そして私は今度は『ディスレクシア』についての勉強を1から始めています。
ADHDに比べるとまだディスレクシアの認知は遅れており、関係書物も少ないです。
だけど、私にとって何よりの教科書は
息子自身です。


 息子を見る。会話する。行動を観察する。そうすることで、息子の特性が見えてきます。
こう言ったら怒る。だけどこう言い替えれば納得する。
そして
『褒められること』が息子が何より喜ぶことです。

 友人が言いました。
『ひとつ、ふたつ、みっつ』と、年齢に『つ』のつく歳までが我慢だよ。
その後は落ち着くから・・・と。
そして息子は今年10歳になります。

 私の姉が言いました。
『そうやって子供に育てられて親になっていくものなんだよ』と。

 3年前の小学校1年生の時、永遠に続く悪夢のように思えた日も、いつしか乗り越えました。
通り過ぎて振り返れば、全ての努力、苦しみ、悲しみは私の力になりました。



 昨年の12月、息子が私に急に産まれる前の話をしました。

『僕は草原に立っていたんだよ。 
そうしたら目の前にたくさんお母さんがいて、
産まれる前はお母さんを選ぶことができたんだよ』
と。

その一言で、今までの苦しかった思いが一気に昇華されました。

 
『じゃあ、あなたは私をお母さんに選んで産まれてきてくれたの?』と聞き返す私に、
 
『あ、そういうことになるね』と、息子は答えました。

 きっと、皆さんのお子様もそうだと思います。
その力のある人の元に神様は子供を授けてくださったんだと思います。

『選ばれた親』なんて言うと、傲慢にも聞こえるかもしれませんが、
敢えて私はその言葉を心に刻みたいです。


 産まれる前はお母さんを選ぶことができたんだよと。



 

本人への告知


 どこかが違う。何かが違う。どうしてなんだろう。
息子はそういった事を私に投げかけることもなく、
療育センター、医療センター、通級や言語科に通い続けました。

 
何回も検査やテストを行い、そして時には薬を処方されました。
それでも息子は
『何故そうしなければいけないのか』と、私に聞くことはしませんでした。

 
息子への告知は非常にゆっくりと、時間をかけて言語科の先生が行って下さいました。
『出来なくてもいいのよ。それはY君のせいじゃないから』
そんなやんわりとした言葉を使って、徐々に息子に出来ないことへの意味を教えていって
下さいました。
 そして『出来ないこと』に目を向けさせるのではなく、
『出来ること』
を大いに褒め、認め、息子のやる気を引き出して下さいました。

 私も息子の問題行動を叱るときに、『やってしまったこと』に対しては『いけないことだ』
教え、そうして
『こうすればよかったんじゃないのかな』『こう言えばよかったんじゃないの』
トラブル回避の道を繰り返し教えるようにしています。

 息子はよく忘れてしまいます。
特に自分に興味のないような出来事は、たとえきつく叱られたとしても忘れてしまいます。
息子が覚えていることは
『叱られたこと』という事実だけで『何故叱られたか』
忘れてしまうのです。
 なので、息子への対応は
繰り返し、繰り返し行わなければいけません。
時には紙に大きく書いて、息子の見える場所へも貼り出したりしています。
 そして、
『そろそろお風呂の時間だよ』とか『8時30分になったら勉強ね』
事前に確認するように繰り返し言葉かけをします。
 言われる前に行動を起したときには
思い切り褒め、出来なかった時には
『これで3回言ったよ』と尚も言葉をかけ続け、自分の意思で行動を起すまで続けます。

 教科書やノートなども、教科別に引き出しにしまい、必ず『こくご』『さんすう』などと
見出しをつけ、その横に色のついたシールを貼ります。そして、同じ教科の教科書やノート
などにも同じ色のシールを貼り、まずは色から教科を覚えさせています。


 勉強など、息子にとって苦痛なものをやらせるときには、
『終わったら一緒にテレビを見ようね』とか、『早く終わったら、ゲームする時間があるよ』
などと、
終わった後の楽しみを話すようにしています。

 『出来ないことは仕方ない』でも、
『努力はして欲しい』『だってあなたは成長している』
『頑張っている』『その成長が何よりママは嬉しい』と何度となく息子に伝えています。

 1年生の頃、寝ている息子の頭を撫で続け、
『何とか障害がなくなるように』と、祈り続けた毎日。
 今は同じ頭を撫でるにしても
『頑張っているね』『ありがとう』と言うようになりました。

 本人への告知はとても難しい問題だと思います。
何よりその事実を受け止め、理解する力が本人に備わっていないといけませんし、
その事実を乗り越える力がないと重圧に耐えられなくなったり、
自暴自棄になってしまう恐れもあります。

 でも、
『頑張っても出来ない自分』に対しての『答え』を見つけたとき、
そして、
『障害』を乗り越える力を身につけたとき、また格段に成長してくれると思っています。

 その点では、私は非常に周囲の方の力をお借りすることが出来て、幸せだと思っています。
言語科の先生による本人への告知。
 担任の先生の配慮による、他の児童への理解と協力により、息子の行動は受け入れられ、
クラスでも認めてもらえる存在となり、いじめられる事もなく、毎日のように友達と遊んで
います。


 
息子の笑顔が私の何よりの力と希望に繋がります。

 
どうか、息子以外の発達障害の児童にも希望の光が当てられ、
認められ、進んで行ける世の中になりますようにと、心から祈ります。


 まだ、隠れた発達障害児の数は多いと思います。
その子どもたちに対して『出来ない子』『さぼっている子』『どこか変な子』などと
レッテルを貼られないように。
 
その子どもたちが認められ、
生き生きと毎日を笑顔で過ごせるように周囲の手が差し伸べられますように。
 そして、我が子のことで思い悩み苦しんでいるご家族がなくなりますように。


 
私は心から祈ります。