塾
  
〜平成17年3月〜

 

 今月に入ってから息子は娘がお世話になっている塾に体験という事で週に2〜3回
通っています。
そして2時間書字の練習や掛け算などの基礎を教えてもらっています。
 息子の事について塾の先生にお話しをしたのはつい最近の事でした。
それまでは塾に通わせるのが無理だと思っていたからです。
 何故なら言語科に慣れるのにも多大な時間がかかり、
私が側に居ても真剣に取り組む姿勢が中々見られませんでした。
 そして、
某大手家庭教師センターにネットで
『学習障害がありますが、どなたか教えて頂ける方はいらっしゃいますか?』と、
質問のメールを送ったら、
返事すら返って来ませんでした。
 そんな現実の中、私は息子を塾や習い事などに行かせる事にとても
神経質になっていました。

 しかし娘から塾の先生が
LDの子を教えていた事があると聞き、
娘の進路相談の時に思い切って
打ち明けてみました。
 先生は別段その事を気にかける様子は無く、昔教えたLDの子どもは塾に来ても
勉強は一切せず、問題集をビリビリに破ったり、鉛筆を折ったりの繰り返しで
学習習慣が着くまでに1年間かかったとお話しをして下さいました。
 そして先生も無理に勉強はさせず、その子の気の済むようにし、
そして落ち着いた所で後片付けをさせていたようです。
 その子の親は塾に入れる時に
LDである事を一切話さずに塾に入れたそうです。
しかし、
何かがおかしいと感じた先生が親に聞いたところ、
LD児で薬の服用もしていたそうです。

 先生は
『最初に言ってくれたらそのように対処するのに何で言ってくれなかったのだろう』
と、
不思議がっていましたが
私にはその親御さんの気持ちがすぐに解りました。
 
怖いんです。入塾を断られるのが怖いんだとすぐに解りました。
もしかしたら別の塾で断られた事もあったのかもしれません。
 先生にその事を話すと
『ああ、そうなんだ〜。断られるの?へえ〜』と不思議がって
いらっしゃいました。

 ADHDやLD、そしてディスレクシア、程度の差はあっても普通の子どもと比べると
教えるのに
多くの時間を要し、そして理解させる事もとても大変です。
 大手の塾や家庭教師センターなどは、教えた子どもが良い高校に入学する事を
宣伝に使っています。
そんな中、
より手のかかる発達障害を持った子どもを他の子どもと同じ料金で預かるはずが
ありません。
その子に2倍教える時間がかかるのなら、普通の子どもを2人教えた方が
はるかに効率がいいし、収入にもなります。

 先週、通級に行った時に他のお母さん方とお話しをした時に何人かのお母さん方が
息子の行っている塾を教えて欲しいと言いました。
そして
『子どもの事(発達障害という事を)言っても断られない?』と不安がっていました。

 それほどまでに私達のように発達障害の子どもを持った親は
子どもをどうすればいいのか
毎日を悩んで過ごしています。
 学校の勉強だけでは同級生に追いつけない。しかし、家で教えても身内が教えると
甘えが出てしまい、教える方も感情的になってしまい、学力が身につくとは思えません。
 息子は学校で週に数回は個別で教えて頂いていますが、授業中に脱走したり、
自由帳絵を書いたりで、他のお子さんに比べるとその差はもう歴然としています。
 
来月には5年生になる息子。
焦ってはいけないと思いつつ、今月娘の受験を終え、
果たして
息子を受け入れてくれる高校はあるのだろうかと、とても不安に思いました。

 幸いにも娘の塾の先生が息子と面談を経て、今月一杯は体験学習という形で見て下さり、
途中で電話を下さって様子を教えて下さったりもしています。
 一応言語科での所見の紙を渡して理解をお願いしたのですが、
塾の先生の実際に息子を教えた手応えでは、
塾で騒いだり、離席したりする事はなく、
書字も支持に従って書き順を守って書いている様子です。

そして間違いを指摘しても怒ることなく消しゴムで綺麗に消して書き直しをしているようです。

 
『この子は出来るよ、やれば出来るよ』
というのが塾の先生のお話でした。
そして出来ないのは
『甘えてる』『ナメている』『楽を覚えている』との事でした。
『本当のLD児は、家と塾で学習する姿勢に違いはない。家で暴れるなら塾でも暴れるはず』
とのご意見でした。

 
その言葉は私にとって、とても嬉しい言葉でした。
もし、本当にもしも塾の先生の言う通りだったらこんなに嬉しい事はありません。
 
しかし何らかの障害がある事はこれまで育ててきて私自身がよく解っています。
ただ、その言葉にすがりたい、信じたい。
もしも息子が普通の子どものように文章を理解し、読み・書きをこなし、
みんなの中に入る事が出来たらどんなに嬉しい事でしょう。

 
本当にそう思いました。

 
しかし家で書字を泣きながら、悔しながらやっている息子。
友達と遊べる時間が少なくなったと嘆く息子
『友達と遊ぶ事も大切な事なんじゃないの?』と、息子に言われました。
私はそう教えてきました。友達と遊びながら学ぶことはたくさんある、と。
だから勉強するときには勉強して、
遊ぶ時には思い切り遊びなさい、と。

 しかし塾に通い出して数回、塾でちゃんと勉強をしているとの先生の言葉で
私に迷いが生じました。
 
今こそ勉強させる時期ではないのか、と。
本当は出来るのに私に甘えているのではないかと。

 先日塾に行く時に息子は
『どうしても行かなくちゃダメ?』と、何度も私に聞きながら
少し泣いていました
その後姿が私の目に焼きついて離れません。
 
息子は忘れない限り約束を守ります。
塾の日だからね、と言えば泣くほど嫌でもちゃんとお友達と遊ぶ約束をしないで帰って来ます。
そして私に促され、重たい足取りで家を後にします。

 先日言語科の先生にその事を話した時に言われました。
『それじゃあこの子は壊れてしまうわ』と。
『サボっている訳じゃないんだから。ちゃんと頑張っているんだから』と。
 
その言葉に私はハッとする思いでした。
 解っている、理解している、守ろうとしている、助けようとしていると思いながらも
どうしても普通の子を意識してしまう。ましてや娘がその塾に通い出して飛躍的に成長し、
良い高校に受かった事もあり、
同じ姉弟なんだからと、ついつい期待をしてしまう。
 
無理にでもやらせればちゃんと出来る様になるんじゃないかと。。。

 
しかし私は決定的な事を見落としていました。
娘は小学校の頃は成績は常にトップクラスで、しかも家で勉強をしなくても
学校の授業を受けているだけで、テストで良い点数をとってきました。
 そして中学に入学し、初めて勉強で躓きました。
『どこが解らないのか解らない』そう言いました。
 通信教育をやりたがったので、やらせてみましたが、やはり長続きはしませんでした。
そして中学2年生の時に、仲の良いお友達が通っていた今の塾へ体験入学をして、
娘の口から
『この塾に通いたい』と、ハッキリ言いました。
つまり娘には危機感もあったし、何より
『学びたい』という思いが強くあったのです。
 
そして絶対的に先生を信頼し、先生の教えた通りに勉強をし、『解る喜び・満足感・達成感』
掴んだのです。
そしてそれは結果として成績に反映し、娘は大いに喜びました。

 
その気持ちがまだ息子には無いのです。
学校に行く事がまず苦痛で(お友達と会えるので嫌がらず行っている感じです)
みんなと同じように着席し、体育の時に着替えたり、指示をされる事が苦手で、
先を見越す力も無く、言葉の理解力もありません。


 
少し前の息子だったら恐らく塾でも同様に暴れて勉強をする事を拒絶したと思います。
しかし、勉学面でも、精神面でも少しずつですが成長はしています。

『ここでは騒げない』『逃げ場もない』そういう事はもう息子も理解していると思います。
 学校でもそういった集団の行動の時にちゃんと参加する事が多くなってきました。
運動会の団体競技などでは、あまりに普通の子どもと同じように行動をしているので、
探せない事も多々ありました。

 学校が終わると友達と遊び、
笑顔で帰って来る息子。
たまに学校で頑張った事を
笑顔で話してくれる息子。
連絡帳に先生から褒め言葉が載っていた時、それを読み上げると
照れるように笑う息子。

 
その息子の笑顔が消えようとしています。
月曜になると
『今日は塾あるの?』と、聞くようになりました。
塾の無い夜は1ページ以上の書字と、掛け算を書く宿題を何本も鉛筆を折りながらやる息子。
 
その姿を見ながら私は大いに迷っています。
普通に文字を読み・書き出来たなら、息子にとっても世界が広がると思います。
テストも受けられるし、成績もつきます。
行く行くは高校の受験も楽になると思います。
そして何より
『自分は出来ないんだ』という劣等感も無くなると思います。
 
その為の塾であり、その為に頑張って欲しいと私は思っています。

 しかし言語科の先生の
『サボって出来ない訳じゃない』と言う言葉が私の心に突き刺さります。
『それじゃあこの子は壊れてしまう』という言葉が息子の暗く沈んだ表情を思い起こさせます。
そうした私の迷いが更に
息子に追い討ちをかけてしまいます。
 
『出来る』『焦り過ぎ』だと相反する私の思いが常に圧し掛かって来ます。

 勉強は楽しいものではありません。
喜んで勉強をしている子どもは少ないと思います。
多少の辛さ、我慢などをして勉強をし、そして学んで行くものだと思っています。
 
しかし、そのスピードには個人差があります。
私にはまだ息子のスピードの把握が出来ていません。
なので、塾の先生の言葉や言語科の先生の言葉に揺れ動いてしまうのです。
まだ、
私にしっかりとした信念が、そして覚悟が出来ていないのです。

 そして来月、息子が5年生になった時には恐らく2年生から見て頂いていた
担任の先生ではなく、別の先生が担任を受け持つ可能性が高くなりました。
その事が更に私に不安感と焦りを募らせています。
 言語科の先生も
『じゃあ今まで担任の先生が頑張って積み重ねてきたものが
また1からやり直しになってしまうわね』
と残念そうに仰いました。
 確かに親の私でさえ息子の事を見極められないのに、
新しく担任になった先生が息子の事を把握できるとは思えないのです。
 しかも息子の学校では今年から毎年学級編成が行われる取り決めになりました。
その度に変わるお友達、そして先生。
たった1年で息子を、そして他のお子さんも把握できるのでしょうか。
色々な事情をふまえての事だとは思いますが、やはり不安な気持ちは拭いきれません。


 今まで発達障害に関わる色々な本を読みました。講演会にも通いました。
しかし私はまだ息子の
『器の大きさ』が解りません。
もう少し入るような気もするし、今がギリギリなのかもしれません。
無理やり詰め込もうとすれば言語科の先生の言う通り、
壊れてしまうかもしれません。
年齢的にも思春期など難しい年頃に入って来ています。
 
『出来ないんだから仕方ない』と、こちらが妥協してしまえば
そのまま前に進めなくなってしまうかもしれません。
そして息子も
『どうせボクは出来ないから』と、楽な方へ行ってしまうかもしれません。

 本当に難しい問題です。
苦しい決断の時が来ていると感じます。
息子の大きな分岐点に立たされて、親としての度量を試されている気もします。
 私が守りたいものは息子の
『笑顔』です。
今、塾に行かせるのを止めさせれば息子は笑顔で
『やった〜♪』と喜ぶと思います。
しかし、
その笑顔は生涯続くものではありません。
 必ず言葉の壁に突き当たり、苦しさ、悔しさを経験します。
だからといって、今、無理やりに息子に言葉を覚えさせる事で必ず将来が
笑顔に満ちているとも限りません。

将来に行き着く前に息子は壊れて、全てを投げ出してしまうかもしれません。
 
その見極め、時期が本当に大切だと痛感しています。

 行く時には半泣きな息子ですが、帰って来れば普通の様子で
『今日はどうだった?』
聞いても
『べつに〜』と、『良い』とも『悪い』とも言いません。
 娘が一緒の日には娘から様子を聞き、そして夜には先生から様子を知らせて下さる
電話がかかってくるので、しばらくは様子を見つつ、決めて行きたいと思っています。




 

   辛  さ
   
〜平成17年4月〜

 

 5年生になって2日目の夜中にまた息子がうなされ始めました。 
何か文句をいいつつ暴れている姿を見るのは必ず学校に行った夜です。
 当然翌朝には息子は何も覚えてはいませんが、
私は息子のうなされている姿を見るのが
とても辛いです。

 言葉で気持を表すのが苦手な息子。
もちろん書く事も苦手なので、息子の要求は時として、見過ごされたり、
言葉の語彙が少ない為に
適切な表現が出来ず、相手に理解されない事もしばしばあります。


 つい2〜3日前に息子を寝かしつけている時に息子が私に問いかけました。
『ママ、学校に行く事がどれだけ辛いかわかる?』と。
 私は
『うん。解るよ。とっても辛いと思うけど、それでも頑張っているYは本当に偉いね』
答えましたが、本当の意味でどれ程の辛さか私には想像が出来ません。
 ただ、状況的に考えると、勉強について行けない、友達の会話にスムーズに入っていけない、
そしてからかわれる事もきっとあるでしょう。
そんな中でも友だちに会えるからと、何とか学校に行っていますが、
やはり夜中にうなされるのは、
相当なストレスが息子にかかっている事は間違いなさそうです。
 そして息子はその辛さを
『隕石が落ちてきて、頭に直撃して死んでしまう位の辛さだよ』
と表現しました。
 今まで『学校に行きたくない』『疲れた』としか言わなかった息子の
初めての具体的な表現でした。

 
 
そして折りしも同時期にアメリカに住む友人が下記のような新聞記事の抜粋を
知らせてくれました。

 私には衝撃的な内容で、これ程までに当人達は苦しんでいるんだと
改めて実感させられた思いでした。
 以下に転載します。


asahi.comより   2006年04月06日11時56分

「学校がつらかった」8割 ADHD患者団体アンケート

 脳機能障害の一種である注意欠陥・多動性障害(ADHD)の患者団体が、
大人の患者を対象としたアンケートの結果を発表した。
子どものころ「学校がつらい」と感じた人が8割にのぼり、
9割以上が「先生が理解してくれなかった」と回答。

結果を文部科学省に提供し、「教育現場での理解促進に役立てて」と訴えている。
 ADHDは脳の障害の一種とされ、「じっとしていられない」「忘れ物をしやすい」
といった症状がみられる。はっきりとした原因はまだわかっておらず、
子どもの時には学校や授業になじめないなど、大人になってからは職業や家庭生活が
継続できないといった問題が起こる場合があるとされている。
 
アンケートを発表したのは「大人のADD&ADHDの会」(SOAA、白井由佳代表、824人)。
インターネットで呼び掛け、会員ら205人から回答を得た。
 
「学校に行くのがつらいと感じたことはあるか」との質問には
84%が「ある」と回答。
理由には
「友達との関係」「勉強についていけない」などを挙げた。
「先生は理解してくれたか」という質問には、
92%が「いいえ」と答え、
「先生の理解があれば学校生活は変わっていたと思うか」という質問には
6%が「すごく思う」、57%が「思う」と答えた。
 白井さんは
「私たちが経験したつらさを今の子どもたちがまた味わうことがないよう、
学校での理解と配慮を進めてほしい」と話している。


 以上が抜粋記事ですが、
『辛かった』という思いをその渦中にある時期には適切に
表現できません。
そしてそのストレスは問題行動や不登校、そして頭痛やイライラ感など
色々な別の問題をも引き起こします。

 このアンケートに答えてくださった方たちが子どもの頃にはきっと今以上に発達障害に
対する理解や認識、適切な対応などは行われていなかったと思います。

 それ故に周囲と同じ事が出来ないことを親にも先生にも周囲にも責められながら
正しく己と戦いながら毎日を過ごすしかなかった事と思われます。
 
そしてその辛さはきっと想像以上に過酷なものだったと思います。

 
私も息子が5年生になり、毎日学校に行くようになると、安心する反面、
不安に思うことも多々あります。

 こうして今も息子が学校に行っている今、一体どんな事を思い、
どんな行動をしているんだろうと、毎日学校での息子の姿を想像する毎日です。

 最近は夜、眠れなくなりました。
と言うか、学校もなく、息子はベットで眠り、学校での様子に不安を思い描くことも無く、
息子の寝顔を見ていられる夜が
とても貴重な時間に思えて中々寝付く事ができません。
 風邪等で学校を休ませていると、勉強の遅れが心配になり、お友だちと遊びに行っていると、
何か危険な事はしていないか、お友達の家で迷惑をかけていないかと、
不安に押し潰されそうになります。
 
だけど夜だけは、この絶対的な静寂では、全ての活動が止まり、
勉強の遅れを
心配する事も無く、友だちとのトラブルや、
誘拐などの
心配をする事も必要ありません。

息子はすぐ隣の部屋で眠り、起きている時とは違い、イライラした姿を見ることもありません。
 そんな息子の寝顔を何度も見に行き、頭を撫でながら
『頑張っているね』『偉いね』
呟きます。そして
『愛しているよ』と。

 
何かを愛する事はとてつもないパワーを引き出します。
これまで私が色々とやって来れたのは、
『息子を愛している』『幸せに成長して行って欲しい』という思いからでした。

 アメリカでは発達障害児などの存在は既に受け入れられており、
教室に後には作業机が置いてあり、課題を終わらせた発達障害児などが、
自分の好きな事が出来るように
配慮されていると本で読みました。
 また、テストにおいても電卓の使用が認められたり、
口頭での受け答え式のテストが認められたり、
大人になっても発達障害の人に
『ちゃんと薬を飲んだ?』と、周囲の人が注意を促してくれたり
発達障害の存在は当たり前のように理解され、受け入れられているそうです。

 文部省も発達障害の現状を把握し、対応策等の審議が進んでいるようですが、
全国に行きわたるにはまだまだ膨大な時間がかかる事と思われます。
 少子化、少子化と騒ぐ前に、
目の前にある問題に早急に対処して頂きたいと焦る気持で願っています。

 
学校は楽しいところ。学ぶ事、知る事は自分の喜びになる事。
そして何より理解され、受け容れられる事で自分の存在を大切に思い、
周囲に感謝し、支えられながらも成長して行く事が出来る環境。

 
それは決して発達障害児に限らず、
学校で学んでいる子ども達にも必要な事だと思います。

 
 
人間は誰一人として同じ人間はいません。
それぞれがそれぞれの
個性を持っており、才能を持っています。
そしてこれから大人になり、社会の要となる子ども達の力を引き出すのは
今大人の私達の使命だと思います。



 

 今は恨まれても
   〜平成17年7月〜

 

  『みんなお前らがいけないんだ!』

 その叫び声を聞いたのは通級での待機中におトイレに行く時でした。
4年生から6年生までの8人グループ
(実質学期に1回のお子さんもいるので、大体が5人になります)
 その中の6年生の男の子が通級に来た時からおトイレに篭ってしまい、
先生方が代わる代わる声をかけて下さっていた時に向けられた言葉でした。
 
その叫び声は声変わりもしており、『男の子』と言うよりは『男子』という感じがしました。
苦渋に満ちた叫び声。それは来年の息子の叫び声になるかもしれません。
 もちろんその子だって本当に
『みんなお前らがいけないんだ』と、思っているとは思えません。
だけど、向ける場所の見つからない
『苛立ち』は、私にも伝わって来ました。

『苦しんでる』
『どうしていいのか解らなくて助けを求めている』
『だけど、素直になれない』


そんな印象を受けた心に深く深く突き刺さる言葉でした。


 ちょうど前夜、息子が塾に行くのを嫌がっていたので、
『今は無理やり塾に行かせるママの事を恨んでもいい。
恨んでもいいから、塾には絶対行きなさい』
『いつか絶対行っていて良かったと思える日が来るから。』
絶対にそう思うからと、
今までの自分の優柔不断な態度を打ち破る事を言った翌日でした。
 
 まだ体も力もおそらく平均的な5年生よりは小さな息子。
でも、『5年生』
という事実は変えられません。
 中学生になったらもっと勉強の差は広がってしまう。
今でさえ私が勉強を教える限界ギリギリのところまできているのに。
しかも、勉強をさせる以外はゲームを好きなだけやらせ、
片づけを促しても
『あとで〜』と言われると、無理やりその時にやらせるとわざと乱暴に
階段を降りて行ったり、文句を言いながらやるので、
『じゃあ、後で必ずだよ』と、
とりあえず約束はさせ、引いてしまう私。
息子の不機嫌な態度を見るのは本当に嫌なものです)

 
しかし、それではいけないと思ったのは、学校で給食当番をサボったり、体育の時間に
体操着に着替えていなかったり
掃除をしないという事を担任の先生から聞いた時でした。

 2年生の時から4年生まで同じ担任の先生が着いて下さり、
それなりに当番や着替えも定着してきたと思っていたので、その言葉を聞いた時に、

息子の今までを知らない担任の先生の事を完全に甘く見ている、と感じました。
(※甘く見ていると言うか、そんなに叱られないだろうという息子の甘えた気持を感じました)
 今の担任の先生は
今年息子の学校に着任したばかりでいきなり息子の担任
させられました。


 そして
『ディスレクシア』というのがどんな障害かも知らずに『どう接して、どこまでを許して
どこまでは許さないのか
境界線が解らないんです。
と、私に言ってきた事がありました。
 本当に
真面目な責任感の強い先生ゆえ、今まで知らなかった障害を持っている息子との
付き合い方に真剣に悩み、苦しんでいる姿が感じられました。

 息子の事をすぐに解ろうとしても到底無理だと私は思います。

 5年生になり、知恵もついてきて、
『甘える』『逃げる』『ふてくされる』
そして思い通りにならないと
『泣き出す』息子。
 そんな息子を担任の先生だけに任せる事は出来ないことです。
 むしろ私が今、息子と真剣にぶつかり合う最後の時なのだと思いました。

 今の時期を逃してしまえば、思い通りにならない時に、
『言葉』の代わりに
『暴力』『自傷行為』『引き篭もり』になるのではないかと思ったのです。
 まだ『小学生』のうちに。
まだ私の事を『本当に怒ると怖い』と思っているこの時期に、
 徹底的に
『今、やらなければいけない事』を叩き込む事が
私のやるべき大きな課題に思えました。

 なので、『塾』にしても『学校での当番』にしても、『部屋の片付け』にしても
『今、何をやるべきなのか』を、『後回し』『回避』『口答え』
一切許さず、聞かず、やらせる事にしました。

 もちろん一つ、一つの事柄について
『何故、やらなければいけないのか』常に説明をします。

 それでも毎日が戦いです。
部屋の片付け、朝食の片付けなどは、いちいち言わずに今までみたいに
私が片付けた方が早いし、ストレスも溜まりません。

しかしそれが結果、
学校生活にも影響を及ぼしているのではないかと思いました。


 
私が何かを注意する。
息子が反発する。
それでもやらせる。

息子は文句をいいながらもやる。


 そしてやった後に思い切り褒める。
今まで手を貸してやって来た事を、これからは息子の力でやらせ、
褒め、自信に結びつける。そうする時期だと思いました。

 宿題などはひどいものです。
今まで私が隣に付きっきりで教えていたものを息子だけでやらせるのですから。
 側で見ているとついつい教えてしまうので、私は隣の自室で息子が終わるのを待ち、
(※当然息子は今まで教えてもらっていたのに、自分一人でやらなければいけない事に対して
怒り、不快感を募らせ、暴言も吐きますし、放棄をしようともします。しかし、放棄し続ければ
時がどんどん経ってしまい、遊ぶ時間がなくなる事をさり気なく言い、後は何も言いません)
 

 そして終わった後には冷静にまず、
宿題以外の事柄『あ、この怪獣さんもしまってね〜』と、
いつもの調子で語りかけると、以外にも息子は
『は〜い』と、機嫌よく片づけをします。
 息子の心の中でも私の変化に憤りを感じながらもいつも通りに戻った私に
安堵を覚えるのかもしれません。


 そうしておいてから、嫌々やった、わざと汚く書いた宿題を見て
『これじゃあ先生が読めないよ。ちょっと書き直してみようか』などと、書き直させるようにします。
 その時に必ず言う事は
『Yは機嫌がいい時はすっごく上手な字を書くよね。まるで教科書を
写したみたいに綺麗な字を書くでしょ。だから、出来ない訳じゃないんだよね〜』
などと、
褒めながら字を書き直させます。
(※褒め殺し作戦です) 本当に根気のいる事です。(;^^A 

 ですが、綺麗な字で書き直した宿題を見るのは嬉しいものです。
そして、全てが終わって息子が布団に入った時に、読み聞かせをして一日の戦いは終わります。



 
『今は恨まれても…』

 結果、将来に結びつく可能性があるのなら、私はそれに賭けてみたいと思っています。

 怒りながら、又は泣きそうになりながら塾に向かう息子の後姿。
それはずっと私の心の中に残ります。正直、見送るのが辛いです。
 それでも もう少し、あと少し、
息子に恨まれても私は決して
『譲らない姿勢』を息子に見せなくてはなりません。

 何故なら息子の
『将来』を助ける事が出来ても、
息子の
『生涯』までは助け、見届ける事はできないのですから。