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 心の支えになった本
   
〜平成17年3月〜

   

 私は今まで色々なADHD関係の本や、ディスレクシアの本などを読み漁りました。
それらの本の中に、少しでも救いを見出したかったのです。
『将来、治ります』そんな文字を探したかったのかもしれません。
しかしながら、遺伝的な要因が関与している他は、まだ解明の域に達していない障害で、
そして、治療方法もないし、ましてや治ることもない、と言う事実を受け止めなければ
なりませんでした。


 そんな中で、同じような障害を持つお母さんから、ある本を薦められました。
それは小学館から発行されている、山本おさむさんが書いている
『どんぐりの家』という
漫画でした。 『一度読んでみてください』と言われ、全巻を買い揃え、一話目を読んだ時に、
声を出して泣きました。
 その本の中の障害を持つ主人公である子どものお母さんのセリフが、
私がいつも思っていても口に出せなかったことを同じように心の中で叫んでいたからです。


 
『なぜ私にだけこんな子が生まれたんだろう・・・・・』
 『なぜ・・・なぜ』
 『なぜ!!』


 言ってはいけない、考えてもいけない、ましてや誰かに言ってもいけない。
でも3年前の私はそんな気持ちの中で毎日を過ごしていました。


 
自分の中でも理解できない息子の行動。毎日のトラブル。
毎日のように謝罪の電話をかける日々。
苦しくて苦しくて夜も眠れぬ思いでした。


 
そんな私にこの本は力をくれました。
私だけじゃない。
 みんながんばっている。
そして、みんな子どもを愛してる。だから苦しい。
でも、やがて理解され、受け入れられる日が来る。
助けてくれる人がいる。
わかってくれる人がいる。

だから毎日をがんばって生きて行ける。
 
そして何より、子どもは成長して行く。
歩みは遅いけど、必ず成長して行く。
そんな希望と力をくれた本でした。

 
そして最終巻に次のような詩が紹介されていました。

エドナマシミラの詩
大江裕子訳
「なぜこの子らは世の光なりか」
伊藤隆二著
樹心社刊より



  会議が開かれました
  地球から、はるか遠くで。

  “また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ”

  天においでになる神様に向かって、天使たちはいいました。

  この子は特別の赤ちゃんでたくさんの愛情が必要でしょう。

  この子の成長はとてもゆっくりに見えるかもしれません。

  もしかして一人前になれないかもしれません。

  だからこの子は、下界で出会う人々に、
  とくに気をつけてもらわなければならないのです。

  もしかしてこの子の思うことは
  なかなかわかってもらえないかもしれません。

  何をやってもうまくいかないかもしれません。

  ですから私たちはこの子がどこに生まれるか
  注意深く選ばなければならないのです。

  この子の生涯がしあわせなものとなるように。

  どうぞ神様
  この子のためにすばらしい両親をさがしてあげて下さい。

  神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。

  その二人はすぐには気付かないかもしれません。
  彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。

  けれども天から授けられたこの子によって
  ますます強い信仰と豊かな愛を抱くようになるでしょう。

  やがて二人は自分たちに与えられた
  特別の神の思召しを悟るようになるでしょう。

  神からおくられたこの子を育てることによって。

  柔和でおだやかなこの貴い授かりものこそ
  天から授かった特別の子どもなのです。



 という詩でした。
それは私の心の支えの詩となり、苦しいときには何度も読み返しました。

 この物語に登場する子どもたちは、息子よりはるかに重い障害を持った子どもたちです。
それでも、両親や、先生などに支えられ、少しずつ成長して行く様子が書かれています。
もちろん事実を基にして書かれた作品です。

 私は離婚して、子供を一人で育てています。
してみると、別れた父親は神様に選ばれなかった人なんだな。などと思うようにもしています。
その代わりに私の両親は健在ですし、子供もよくなついています。

 
人生に無駄な出会いや、経験はない。
この頃、やっとそう思えるようになりました。

自分が通って来た、道のり。
それは何より経験となって、私の力になりました。

辛ければ辛いほど、乗り越える力を手にしました。
 きっとこの先も私は経験と力を手にして行くと思います。

そして、私のこの経験が少しでも同じような苦しみを持つ方の力になれたらと思います。

 私は子供の頃から引っ込み思案で、人前に立つのが苦手でした。
会話も上手じゃないし、臆病者で、波風を立てないように生きてきました。
 
そんな私に力をくれたのは他でもない私の産んだ息子だったのです。



 

力 を く れ た 歌
 
〜平成17年5月〜

 
私は音楽を聴くのが好きです。
家で仕事をしている時にも必ず音楽を聴いています。
ジャンルはクラシックからロックまで幅広く聴きます。
 月に数枚CDを買っては聴いています。

 そんな中で、辛いとき、苦しいときに聴いた曲は、
Paul Ankaさんの歌っている
『My Way』でした。
かなり有名な曲なので、皆さんも知っていると思われますが、
その曲は私の心に染み入りました。



     
 《 My Way 》


  終わりが近づいている
  最後の幕が下りようとしている今
  友よ、はっきりと言おう
  私が自信を持って言えることを

  私は充実した人生を生き
  あらゆる本道を旅してきた
  そして、それよりも何よりも
  自分の思うようにやってきた

  いくつか、後悔もある
  それでも、ほんの数えるほどだし、
  自分のなすべきことをやり
  それを必ず最後までやり遂げてきた

  あらかじめ練り上げた道筋を歩み
  脇道をたどる時も注意深く一歩を踏み出し
  だが、それよりも何よりも
  自分の思うようにやってきた

  そう、確かに時々は
  自分の手に余ることを企てもした
  だがそんな時でも、疑いを感じれば
  それを受け入れたし、口にしてきた
  それに堂々と立ち向かい
  そして自分の思うようにやってきた

  私は愛した、笑ったり泣いたり
  失敗し、敗北したこともあった
  でも涙が引いた今では
  何もかも楽しかったと思える
  それは私がそのすべてを
  おっかなびっくりではなく
  ー私はそんなタイプじゃないー
  自分の思うようにやってきたから

  一人の人間にとって、確固たる
  自分というものがなかったら
  本当の気持ちを言葉にすることもできない
  たどって来た道が語っている、私は打ちのめされたこともあったと
  でも私は自分の思うようにやってきた



 和訳するとこんな感じの曲ですが、そのメロディーには力強さを持っています。
そして、
『頑張ろう』『まだ頑張れる』と私に希望をくれた曲です。

 この曲のオリジナルはフランス語のClaude Francoisさんの自作自演曲“Comme D'habitude”で、
“My Way”として英語歌詞を書いたのはポール・アンカさん。
芸能界を引退するというフランク・シナトラさんの話を聞いて彼の為に書いた歌詞だそうです。
 なので、歌詞を読むと、終わりの詩のような感じになりますが、
私は一つの節目、節目の度に、この曲を聴きます。

 聴く機会がありましたら、是非じっくりと聴いてみて下さい。

 
※コロムビアミュージックエンタテインメント株式会社様より発売されているCD『Scene』より抜粋させて頂きました。



 

   授 業 参 観
    
〜平成17年6月〜

 

 息子が小学校に入学するまで、授業参観がこんなに辛いと感じたことはありませんでした。
娘は先生に『居るか居ないか分らないほど大人しい』と言われていて、普段はもちろん
授業参観でも終始大人しく、見ていてハラハラすることなどは1回もありませんでした。
自ら手を挙げて発言する積極性には欠けるものの、先生や同級生に迷惑をかける事など
全くありませんでした。


 しかし息子の授業参観は年々落ち着きを見せてはいるものの、プリントなどで授業参観を知ると、
憂鬱な気分が圧し掛かります。 
『嫌だなぁ』という思いが頭を駆け巡ります。
その日を休ませたこともありますし、息子の拒否で見に行かなかった事もあります。
 息子の授業の様子を見ながら、
『他の親には息子はどう見えているんだろう』
そんな思いが頭をよぎります。
『変わった子』『うるさい子』『先生の話を聞かない子』
『親の躾がなっていない子』
…など等思われているのではないかとどうしても周囲が
気になってしまいます。


 1年生の時に懇談会で息子の発達障害のことは説明していますが、
当然欠席だった方もいますし、それからクラス代えもありました。
その後は私は保護者の前で息子の障害の事は一切説明していません。
 又聞きで息子の障害を知った方もいらっしゃるでしょうし、自分の子どもを通して息子のことを
知った方もいらっしゃると思います。 そして、
何も知らずにいる方もいると思います。

 今回の息子の席は教卓の隣でした。
そして前回は一番後ろの窓側、その前は黒板の真下でした。
 きっとその時の息子の様子で席を変えて下さっているのだと思われます。
そして、息子を飽きさせないよう、時々声をかけて下さったり細かい配慮もして下さっています。
 1年生の頃の息子は私が叱ろうが何を言おうが、自分のしたい事をし、立ち歩き、
授業参観は本当に散々なものでした。
 
私はその場で立ち尽くし、授業が早く終わることをひたすら祈っていました。
そして、家に帰ると情けなくて泣いていました。


 年々落ち着きは出てきているものの、
やはり授業参観は私にとって見たくない現実を知る場となります。
そんな息子と日々向かい合って下さっている先生方には本当に頭が下がる思いです。
『あと30分』『あと15分』… 私は時計と息子を交互に見ています。
息子は時々私を見て、私が微笑むと安心したような顔で、再び課題に取り組みます。
微笑む…でもきっとその顔はひきつっていると思います。

 息子にとっては、着席しているだけでも大変な事なのだとは思います。
そう思おう、頑張っているのだと。私は自分に言い聞かせます。
 ですがどうしても頭の片隅には
『普通の子が普通にしている事が
どうして出来ないんだろう』
とまだ息子に『普通』を望んでしまう自分もいます。
『普通でいいから』『それ以上は望まないから』『普通の姿を見せて欲しい』
授業参観の度に何度となく
繰り返してきた思いです。
 私はまだ頭の片隅で息子の
『障害』を否定しているのです。
『理解しようとする思い』『普通を望む思い』が互いに相反して脳裏をよぎります。
そして現実をまざまざと見せ付けられ、私は将来を不安に思います。

 息子は学校から帰って来ると、
『ちゃんと座っていられたでしょ』と、
笑顔で私に話しかけてきます。
私は
『うん。そうだね。頑張ったね。偉いね』と頭を撫でます。
息子は満足そうにまた笑います。
私は息子の頭を撫でながら、
『それができて普通なんだよ』などと思ってしまいます。
そして、
その思いがまた私を苦しめます。

 息子にとって
『普通』とは何なのでしょう。
他の同級生と自分の行動を比べたことはないのでしょうか?
そして、それから浮いていると思った事はないのでしょうか?
そして、その事を『恥ずかしい』とは思わないのでしょうか?
 
『発達障害』は目に見えない『障害』です。
骨折だとか、火傷だとか、身体的には何ら異常の無い
『障害』です。
知能検査でも平均値で見ると、
『普通』の範囲に入っています。
それ故に周囲からも、時として親からも『何故普通にしていられないのか』と、
その一言で片付けられてしまう事も多々あります。

 家で過ごしている息子は私にとって何ら
『普通の子ども』と変わりません。
どこかに出かけても、食事に行っても息子の行動が他の子と比べて逸脱しているとは思いません。
だからこそ私は時として忘れてしまうのです。
『この子は普通の子ども』だと思おうとしてしまうのです。
そして、授業参観に行く度に
『やっぱり違う』という思いに打ちのめされてしまうのです。

 ひらがなが書けるようになれば次はカタカナ。カタカナが書けるようになれば次は漢字。
足し算が出来るようになれば次は引き算。引き算が出来るようになれば次は割り算。
息子に望む事はどんどん高度になっていきます。
そして、それらが出来るようになれば
『すごい!すごい!』と私は喜び、
更に高度なものを息子に期待してしまいます。

 息子が一年生の時に初めて言語科に通い、
『この子は果たしてひらがなが読み書き出来るようになるのだろうか』
不安に思った気持ちを今でも覚えています。
それ位息子は『文字』に対して拒絶を示していました。
 それが今では自分の名前を漢字で書けるようになりました。
確かに成長しているのです。
『焦ってはいけない』『普通に捕われてはいけない』『この子の成長のスピードがあるんだ』
いつも思い込もうとしていることです。

 私は常に
『普通』を意識し過ぎてしまい、
それが結果的に自分を追い詰めたり、息子の良さを打ち消してしまったりします。
何が一番大切なのか見失ってしまう事があります。
 大切なもの。それは私にとって息子の
『笑顔』です。
授業参観で私を不安そうに見る息子。
私が微笑むと安心したように笑う息子。
その
『笑顔』こそが私の宝であり、原動力だという事を
今一度心に刻み込みたいと思いました。


 先日母が私に一枚の紙を渡しました。
その紙を2枚コピーして、一枚は私に読んで欲しいと言いました。
そして母もそこに書いてある事を忘れないように手元に置いておきたいと言いました。
 誰にもらったのか、どこで見つけたのか聞きませんでしたが、それは以下のような詩でした。


 
子ども         
 ドロシー・ロー・ノルト作


 
批判ばかりされた 子どもは
 非難することを おぼえる

 殴られて大きくなった 子どもは
 力にたよることを おぼえる

 笑いものにされた 子どもは
 ものを言わずにいることを おぼえる

 皮肉にさらされた 子どもは
 鈍い良心の もちぬしとなる


 
しかし、激励をうけた 子どもは
 自信を おぼえる

 寛容にであった 子どもは
 忍耐を おぼえる

 賞賛をうけた 子どもは
 評価することを おぼえる

 フェアプレーを経験した 子どもは
 公正を おぼえる

 友情を知る 子どもは
 親切を おぼえる

 安心を経験した 子どもは
 信頼を おぼえる

 可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
 世界中の愛情を 感じることを おぼえる