この世で一番愛しく
    厄介なもの
     〜平成17年9月〜

 

 私には1歳違いの姉がいます。
そして、姉は3人の子どもを育てています。
長男は今年成人式を迎え、長女は私の娘と同じ中学3年生、そしてその下に妹がいます。

 しかし、本当は長男と長女の間にもう一人女の子がいるはずでした。
生きていれば高校生になっているはずのその子は1歳の時に
『突然死』で亡くなりました。
やっと笑えるようになった頃でした。


 それまで私は『案ずるより産むが易し』、『親がなくても子は育つ』などの諺などで、
『子どもとは小さいけれど逞しい』『必ず親より長生きするもの』などと簡単に考えていました。
 それだけに姉の子どもが亡くなった時にはショックで言葉も出ませんでした。
職場で母からの電話で訃報を聞いた私は急いで家に戻ると、
取る物もとりあえず母と旦那と3人で新幹線に飛び乗りました。

 その頃
『突然死』と言う言葉は、某お相撲さんのお子様が『突然死』で亡くなったという事で、
巷ではよく聞かれる言葉になっていました。

ー『原因不明の突然の死』ー

 でもそれがまさか自分の姉の子どもに起こるなんて想像もしていませんでした。

 そして、実際に亡くなった姪っ子を前にしてもどうしても死んでいるとは考えられませんでした。

 姪っ子は布団に寝かされ、その布団の上には短剣が置かれています。
そして鼻には詰め物がしてありました。
 でも、私は今にも掛け布団が上下して、姪っ子が息をし吹き返すのではないかと、
必死で目を凝らしました。
それはもはや祈りの気持ちでした。

『お願いだから生き返って欲しい』
『これは夢であて欲しい』・・・

きっと誰もがそう考えた事だと思います。

 そして泣き腫らした姉の手首には包帯が何重にも巻かれていました。

 
『この世で一番愛しく、厄介なもの』
それは後に私が自分の子どもを産んで感じた想いでした。

 姪っ子が亡くなってから1年が過ぎ、私は姉とほぼ同時期に妊娠を報告し合い、
共に喜び合いました。

 そして姉より2ヶ月早く私は出産しました。
正常分娩で体重も3,000kg、元気な赤ちゃんでした。
丁度姉も里帰り出産で家に居たのですが(私は結婚後も自分の家で親と同居していました)
姉の手を借りても尚、私は不安が尽きませんでした。


 夜、眠っている間に死んでしまうのではないかとか、昼間でも数時間寝ていると
不安になって息をしているかどうか子どもの顔に自分の顔を近づけて呼吸を確認します。
夜は電気を点けっ放しにして何度も様子を見ました。
 子どもが起きているときは常に抱きっぱなし。
姉に
『そんなに抱っこばかりしていたら、抱き癖がついちゃうよ』と言われる位でした。

ー『この世で一番愛しく、厄介なもの』ー

 子どもを抱きしめながら、子どもの寝顔を見ながら、私はそう思いました。
自分の命より大切なもの。 
だけどそれは
『物』ではなく、『者』だから、常に手がかかるし、目も離せない。 
だけど、その苦労も疲れも子どもの笑顔を見れば一気に消えてしまう。

 しかしその
『命』はあまりにも無防備で、危なっかしいもの。

 もしかしたら今日死んでしまうかもしれない。
私がちょっとトイレに行っている間に死んでしまうかもしれない。
 そう考えると子どもの側を離れる事も出来ませんでした。


 私は常に子どもが眠っている間はベビーベッドの側で、子どもの洋服を作ったり、
色々な資格を取るために勉強をしたりして、なるべく
『死』と言う考えから遠ざかろうと努めました。
 ただ、1度だけ庭で子どもを抱き、散っていく葉を見ていたら、
この先の事があまりにも不安に思えて、
その場に子どもを抱いたまましゃがみ込んで泣き出してしまった事があります。
 びっくりしている姉の横を甥っ子が靴を履いて私の側まで来て無言で頭を
ずっと撫でてくれました。
私が泣き止むまでずっと、です。


 
その甥っ子が今年20歳になります。

 本当に時の経つのは早いと思います。
特に子どもの成長は本当に早く感じます。
 毎日が振り返る暇も無いほど忙しくて、育児に奮闘していても、
いつの間にか子どもは2本足で歩き出し、言葉で意志を伝え、
どこから学ぶのか嬉しいと笑い、悲しいと泣き、不快だと怒りの表情をします。


 9月1日の日記で、息子がお友達とのトラブルで悩んでいると書きました。

 そして翌日、3時になっても4時になっても帰って来ない息子に対して不安感はどんどん募り、
『もしかして苛められているのかもしれない』
『どこかで一人で泣いているのかもしれない』
などと悪い想像ばかりが頭に浮かび、
久々に
『この世で一番愛しく、厄介なもの』と言う言葉を思い出してかみ締めました。

 早く帰って来れば来るで、
『遊んでくれる友達もいなくなってしまたのではないか』などと、
やっぱり心配になるクセに遅ければ遅いでやっぱり不安になってしまいます。
本当に
『この世で一番愛しく、厄介なもの』です。

 先に帰っていた娘に昨夜の出来事を話し、少しでも気を紛らわそうとしたのですが娘は、
『Yがいじめられる〜? そんなのある訳ないじゃん〜』
『絶対先にYが何か言ったか、したかに決まってるじゃん〜』
と、辛辣な答えが
返ってきました。。。

 それでも、玄関の開く音がして、息子が階段を上って来ると、
普段は自分から話しかけない娘が
『お帰り〜』と、何気なく声をかけています。
娘のそんな応対を嬉しく思いながらも、
『遅くて心配したじゃないのよ〜』と、
抱きしめる私に息子はケロッとした顔で
『何で?』と聞き返します。
 私が
『またお友達と喧嘩しているのかと思ったの。』『どう?今日は仲良く遊べた?』
聞くと、
『うん。E君とはね。今日も遊んだし。』『でも、I君とは仲直りしていないよ』と説明して
くれました。

 もうその言葉だけで充分です。
本当に我ながらバカ親だと思います。


 
息子が娘と買い物に出かけた後、涙が止まりませんでした。
他者と意志の疎通が中々出来ない息子はこれまで担任の先生の配慮や、
クラスメートの優しさに包まれながら、元気に過ごして来ました。

 しかし私はこれがずっと続いてくれるとは思っていないのです。
いえ、
むしろ今まで仲良く過ごせた方が奇跡にも思えるのです。

 今まで何度も親の会の方たちや、通級のお母様方とお話をしていて、
『Yは何て恵まれた環境にいるんだろう』と、感謝して過ごして来ました。

 それ程発達障害の子どもを抱えたご両親の悩みは
『子どもの障害』ではなく、
『周囲の理解の無さ』に苦しみ、助けを求めてもがいているのです。

『場にそぐわない発言をしてクラスメートに非難を浴びてしまう』
『ついつい手が出てしまうので、遊んでくれるお友達がいない』
『子どもの行動について、他の親から非難されてしまう』 

 など等、本当に聞いていて悲しくなります。

そして、
『人事ではない。いつか息子もそうなってしまうかもしれない』という考えが
いつも私の頭の中を支配してしまいます。

 もっと
『発達障害』を知って欲しい。
でも、説明する言葉が中々出てこない。 
説明し、理解してもらう自信がない。
そしてどこかで躊躇している自分がいる。


 その夜、お風呂に入っている息子と話しながら、息子が
『ママはカマキリ触れる?』
聞いてきたので、
『今は虫は嫌いだけど、昔は何でも触れたよ』と答えると、
『じゃあナメクジも?』と笑いながら聞いてきたので、
『あ、ナメクジは触れない。塩…かけちゃった』と言うと
『殺したの?』と尚も聞き返してきました。
 私は内心『しまった。正直に言い過ぎた』と反省したのですが、
息子は真剣な顔になると、
『せっかくの命…かわいそう』と言いました。


 私の
『この世で一番愛しく、厄介なもの』は、少しの障害を背負いながら産まれましたが、
障害を持っていない私よりはるかにこの世の
『命』を愛でる心と慈しむ心を持っています。

 
 先日、本で読んだのですが、人は何かしらの
『業』を背負い、
何かしらの
『使命』を持ってこの世に産まれるそうです。

 そして、前世を記憶していた人たちの大半は、この世に産まれる事に喜びを持たず、
(死後の世界の方が心地良いらしいです)
『誰か』との話し合いでしぶしぶ説得され、
『ある特定の肉体を選択して』この世に産まれて来るらしいです。

 その話が本当かどうかは解りませんが、
私も、私の
『この世で一番愛しく、厄介なもの』二人にも、
 
『命』の重さ、『産まれてきた事』の大切さ、そして『愛する心』を持って、
それを後世に繋いで行ける人間になっ欲しいと思います。



 

 誰の為に、何の為に…
     〜平成18年10月〜




 連日子どもの自殺報道がクローズアップされ、それに伴ない学校、
そして教育委員会までの隠蔽、虚偽の内情が明らかにされています。

 
学校誰の為にあるのか。そして何の為にあるのか。
本当にそんな事を考えさせられる毎日です。


 本来子ども達の一番大切な時期を預かる小・中学校がイジメの温床となり、
イジメが原因で自殺した子どもの遺書に
『イジメ』と書いていないから、
イジメが原因ではないと苦しい言い訳をする
学校。
 そしてここ
7年間は子どもの自殺が毎年100人以上もいるのに、
イジメが原因で自殺した子どもの数は『0』だと恥ずかしくもなく公表する文部科学省。

 何がどこからおかしくなったのかは解りませんが、本来
子どもを守るべき立場
学校教育委員会文部科学省までが保身を第一に考え、世間を誤魔化し、
子ども達を黙らせ、更にはイジメに間接的・直接的に手を貸し、
時には見ないフリ(気付かなかったフリ)をする。

 教師自体の質の問題もありますが、それを採用する側の問題もあると思いますし、
更には教師教育が徹底して成されていない結果なのではないでしょうか?
 
また、それ以上に文部科学省への報告に正確な数字を提示できない
裏事情もありそうです。(文部科学省ではイジメによる自殺者数を『0』にしたいそうです。)
それが学校に
無言の圧力となり、正確に報告が出来ず、
結果闇に葬りさられてしまうようです。

 子どもが自殺をしたというニュースを見る度に心が苦しくなってどうしようもありません。
『安易に死を選ぶ子どもにも問題がある』という考え方をする方もいらっしゃると思います。
『イジメ位で自殺するのでは、将来社会で生きて行けない』と、仰る方もいらっしゃると思います。
でも、私は
『死』を選ぶしか選択肢のない苦しさを少なからず知っています。
 子どもは親に養育され、家庭と学校で教育されて成長して行きます。
その過程の非力な、力も防御策も持ち得ない子どもが何に、どう助けを求めればいいのか…
 例え親に相談しようと思っても、反対に
『そんな事で悩んでいるのか。情けない』と、
叱咤激励されるのではないのかと、どうしても言い出せない心の痛みを私は知っています。
友だちに相談しても、
『そんな事気にする事ないよ。大した事じゃないじゃん。頑張りなよ』と、
安易に言われるのではないかと躊躇する気持を私は知っています。
 そして例え、担任の先生に相談しても、その事が周囲に解って
『チクリ魔』と言われるかも
しれないという怯える気持を私は知っています。

 心の救いの場を無くした子ども達は一体どこへ行けばいいのでしょうか?
そしてどうすればいいのでしょうか?


 幾度となく、こういった痛ましい事件が起こる度に世間は騒ぎ、学校、教育委員会は
苦しい言い訳を並べ、
子を亡くした親たちは、気持のぶつける場を失い、
深い深い絶望感の中で、一生を送って行くのではないでしょうか。
 そしていつの間にか事件は風化し、
世間が忘れた頃にまた同じような痛ましい事件が繰り返される。
 
本当に辛く苦しい事です。

 私はそんなニュースを過去を思い出し、そしてもしかしたら被害者の親に
なるかもしれないといった
複雑な気持ちで怯えながら見ています。
 幸い息子は小学校生活の中では、助けられながら、理解されながら育っています。
その背景には担任の先生の力がとても大きかったと思います。
 息子の行動を解りやすくクラスの子ども達に話して下さり、そして周囲の子ども達も
そんな息子を受入れながら時には手を貸してくれたり、通級に迎えに行った時には
『今日はY君は頑張ったんだよ』と、私にまで気遣いをしてくれる優しいクラスメートに
囲まれて育っています。

 校門を出る時に、教室の窓から大声で
『じゃあな、Y!』と、手を振ってくれるお友達。
そんな時、息子はちょっと照れた様に手を振り返しますが、
私は心から
『ありがとう。また明日よろしくね』と、手を振ります。
嬉しくて、心の底から温かい気持が込み上げてきます。

 この状況がずっと続いてくれればいいと、心から思います。
中学校に行っても、高校に行っても、先生から理解され、周囲の子ども達からも理解され、
そして、それに応えられる強さと感謝の気持を持てる子どもに育って欲しいと思っています。
 
しかしそれには本人や親の努力はもちろん、学校生活における学校側の協力
どうしても必要になります。


 先日自殺してしまった少年の遺書の一部に『できの悪い息子でごめんなさい』
との
両親に宛てた記述がありました。

そして、
その子の担任の先生は『からかいやすい子であった』と、
イジメを煽った自らの行動を認めています。
 しかしその後、
学校長から訂正、言い訳がありましたが、
何故ここまで来てもまだ学校側は体裁を整えようとするのか、
全貌をどうして明らかにして今後の事を考えようとしないのか、
そして何より
『自ら命を絶つしかなかった』子に対して、
そして突然愛する我が子を喪った、その
両親に対して心からの謝罪が出来ないのか。
 人として悲しすぎる、醜いすぎるその姿をテレビの画面で私は放心したように見ていました。
まるで自分の息子を喪ったかのように。
 それほどまでに『できの悪い息子でごめんなさい』という遺書の一文面が
私の頭から離れませんでした。
どんな気持でその文章を書いたのか。
死に至るまでどんな毎日を送ってきたのか。

そして、自ら自分の人生に終止符を打たなければ抜け出せなかった少年の
大きな絶望感が伝わってくる遺書でした。

 息子は恵まれています。
周囲の人達は何とか息子を理解し、褒め、成長に結び付けようと頑張って下さっています。
 だからお願いです。
『教育』という役職に携わる方々にもう一度『教育』の大切さを考えて欲しいです。
もちろん私も私自身を見つめなおし、息子と何度でも会話を交わし、間違いは正すように、
生きる事が喜びとなるように、将来が楽しみになるように、出合った全ての人々に感謝する
気持を持てるように、そして頑張る事の大切さを教えて行きたいと思っています。


 そして補いきれない学校での生活を
『教師』という職業を選んだ先生方に
助けてもらいたいと思います。
 一緒に考えて、時には助言を与えて共に息子を、子ども達を未来へ、
希望のある未来へ送り出す手助けをして欲しいと心から願っています。




          最後に
 自ら命を絶ってしまったお子様達の魂が
   安らかな場所にたどり着く事を
    心よりお祈り申し上げます。