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    プ ラ イ ド
    
〜平成18年1月〜


 プライド(自尊心)と言っていいのかどうか解りませんが、息子は『間違えること』
極端に嫌います。
自信のない答えに対しては
『解らない』『知らない』と言います。
例え間違っているかもしれないけど
自分なりの『答え』を口に出す事はしません。
10問ある問題の1問目が解らないと、次の問題に進むことなく
『解らない』と投げ出そうと
します。


 3年生の頃、言語科では、プリントを短く切って、問題文と回答用紙に分けて息子に
取り組みさせていました。4年生になってもその方法はしばしば使われます。
 A4の用紙、この1枚にしても息子はそこに書かれている
文章を見ただけで拒絶反応
おこします。

 読むことが苦手な息子は既に
問題文で躓きます。読めない字が1文字でもあると
もう全てに対して
『解らない』投げ出してしまうのです。
 そこで言語科の先生は1問目がわからなければわかる問題から進めていけばいいと
根気良く教えていって下さっています。
 
時には短冊程の短いプリントを使って、1問ずつ問題に取り組ませて下さいます。
そして、徐々に問題が解けてくると
息子は自ら取り組む姿勢を見せてくれます。
『こんなの簡単じゃん』などと得意げになって取り組みます。
でも、その気持ちにさせるまでには相当な時間と手間と根気がかかります。
 
間違えては投げ出し、褒められては前に進む。そんな一進一退を繰り返しています。

 息子がまだ保育園の時に、発熱したと連絡を受けお迎えに行きました。
息子は発熱するとすぐに吐くことが多いので、必ず洗面器を持参して病院にも行きます。
 その日も洗面器を持ってお迎えに行き、その足でかかりつけの小児科の病院に行きました。
待合室は結構な混雑で何とか椅子に座れましたが、息子が急に私の手から洗面器を取り、
後ろを向いて丸まるようにして吐きました。
 私はその息子の背中をさすったのですが、
息子はその手を払いのけ、尚も吐いています。
しかも、
吐いている音を押し殺すように周りに気づかれないように吐いているのです。
まだ4〜5歳くらいの出来事だったと思いますが、私にはちょっと理解できない行動でした。
 高熱で、吐くほど気分が悪いのに、何故それを周囲に隠そうとするのか、
私の手を払いのけるのか
(周囲に吐いていることを知られたくなかったのでしょうが)
それ程周囲の事を気にしている息子に驚きました。
 
今でも鮮明に私の記憶に残っている出来事です。

 時々、息子は一人立ちをするのがとても早いのではないかと思うことがあります。
お腹が空くと、一人で居る時にはガスを使ってはいけないときつく言い聞かせているので、
パックの白いご飯をレンジで温めて、海苔をおかずに食べていたり、餅をトースターで
焼いて食べたりしています。そして、いつも読むマンガ本が近くのコンビニで売り切れの時には
バス停で3つ位離れているコンビニまで歩いて行って、買ってきた事もあります。
 小学校の検尿の時には
一人で出来るからと言って、私にやらせようとしません。
(検査結果に影響するからと言って無理やり私がやりましたが)
 祖父と長期間の旅行や通級や学校での宿泊学習なども、寂しがりません。
娘とは違い、
きっとこの子は自分の進むべき道を見つけたら真っ直ぐ突き進んで
行くだろうな、と思います。


 でも、私はそれでもいいと思っています。息子が何か自分の進むべき道、生活を出来る糧を
見つけたのなら、例え中卒でも、高卒でも、息子の思う通りに進めばいいと思っています。

本当に大切な事は勉強の中ではなく、日々の生活の中で学んで行く物だと私は思って
います。

 字が読めなくて
困れば最小限の文字をきっと覚えるでしょう。お金の計算が出来ず
損をする
ような事があれば、お金の計算を学ぶか、電卓を持ち歩くことになるでしょう。
解らない言葉は
聞き覚える。そして調べる全て実践が後押しとなって息子に力を与えて
くれると思っています。

 人間関係に疲れたのなら、どこか人里離れた場所で自給自足で生活をすればいい。
だけど、すぐに投げ出す人間にはなって欲しくない。 
自分で決めた事はとことん頑張りぬく力をつけて欲しい。
今が正にその時期だと思っています。

 
頑張る事を教える諦めない事を教える学ぶ楽しさを教える
そして
自分の行動の責任を持つことを教える。そして生きている事の楽しさを知って欲しい
それが私の願いです。

 子ども達の父親(私の元旦那)はとても頭のいい人でした。そしてプライドの高い人でした。
子ども時代には神童と呼ばれ、地元の有名高校に入学し、両親からは
『頭がいい』
言われながら育った人です。そして自らも頭のいい事を自負していました。
 
だけど私はそういう人間が一番打たれ弱いと思いました。
元旦那は早稲田大学受験に失敗すると、失敗した理由を『きっと名前を書き忘れたんだ』
他に責任転嫁をし、再度受験することはなく、某大学に入学したのですが、結局入学式に
出ただけで、後は大学に行かなくなりました。本来なら中退扱いにもならない所を、
父親が頭を下げて、中退扱いにしてもらったそうです。
 自分で動く事なく、周りの助けに期待する。
仮に『名前を書き忘れ』て受験に失敗したにしても、『名前を書き忘れる』なんて事は、
受験以前の常識だと私は思いました。
 そんな
自意識過剰頭でっかちだから一回の挫折で大きく人生は変わってしまいました。
それでも尚も両親は
『あの子は頭がいいから』と言い続ける気持ちが理解できませんでした。
 仕事を辞めても『あの子は頭がいいから、バカな上司を見下すところがあるんだ』と義父が
言いましたが、
社会に出てそんな言い訳は通用しないと思わないのでしょうか。
しかも、
辞める時は突然尻拭いは私

 だからこそ私は
頭の良し悪しよりも、人生においての賢さを身に着けて欲しいと
思っています。

生きて行く上での常識、責任、自らを戒め、振り返ること。
そして前にも書きましたが、私の教育方針
人に迷惑をかけない嘘を吐かない親(私)より先に死なない
 それだけは守り通して欲しいと思いますし、
それを身に着けさせるのが
親である私の責任だと思っています。

 今は息子のプライド(自尊心)を傷つける事ばかりが多い毎日です。
『出来ない!』と言い張る息子に『出来る』『出来なくても頑張る』事を教え、
1回息子のプライド(自尊心)を崩し組み立て直す時期だと思っています。
 
私はその後にやって来る心の成長に大きく期待しています。



 

『習慣』の大切さ
  〜平成18年1月〜

 

 先を見越して考えたり行動したりする事が苦手な息子。
言い換えれば
いつもやっている事を変えたりする事に
大きな不安を感じるようです。
 例えば遠足の日などは、本当に今日が遠足なのか窓から外を見て、リュックサックを背負った
同級生を確認するまで外に出れず
『本当に今日は遠足の日?』などと何回も私に聞いて来ます。
 また、運動会の日なども、前日にちゃんと先生の言う事を聞いて来ないので、
体操服で行くのか、私服で体操服を持って行くのか解らず、同じように窓から外を見て、
誰かが通るのを待っています。(※いつもは誰よりも先に学校に行きたがります)

 
毎日の決まった行動に対しては当たり前のように受け入れているのですが、
違った事をするのには大きな不安感を持つようです。


 これは言い換えれば毎日決まった事を
『習慣化』してしまえば
受け入れられるという事になります。


 しかし、帰って来たらランドセルを自分の部屋に持って行く事などは1年生の頃から
何度も言っているのですが、未だに
『習慣化』されていません。
 ところが夜の8時30分になったら勉強をするという決まり事は今ではちゃんと
『習慣化』されています。
 時間割は1年生の頃から私が揃えていたので、今でも自分が時間割を読んで、
私が揃えるのが当たり前になってしまっています。

 
これは私にとっても大きな反省材料が含まれています。
 時間がないのです。
息子の
『習慣化』させるための時間と根気がないのです。
 主に在宅で仕事をしている私は傍から見れば時間が容易に取れると様に見えると
思いますが、裏を返せば仕事が終わる時間が決まっていない事になります。
 そして忙しいときには年越し仕事もありますし、
昼食を作る時間も無く、パンを齧りながら仕事をする事も多々あります。
 そして出社の時は往復2時間弱かかるので、家に帰る頃には7時、8時で、
自分のお風呂を終えると急いで息子に宿題、音読をさせ、その間に私が時間割を揃えます。
そうしないと息子を寝かせる時間に間に合わないのです。
 そして息子の宿題の解らないところを教科書を出して教えて、
9時になれば今度は息子を布団の中に入れて私が読み聞かせをしなければいけません。
 そしてやっと息子の事が片付いた所で自分の仕事の続きをやります。

 通級や言語科、授業参観、個人面談、懇談会などの行事のある時にはどんなに
仕事が忙しくても優先させて行かせてもらっているので、その他の時間は
極力仕事を進めておくように、また、急な依頼でも引き受ける様にしています。
 それでも仕事に関しては、本当に良く家庭事情を考慮して下さって頂いていると
感謝しています。

 さて、問題の
『習慣化』ですが、冬休みの宿題が多くて、頭を抱えていましたが、
何とか旅行中に宿題を休ませても終わる目処が立ってきました。
相変わらず息子は私の側にあまり来ません。
(側に行くと‘勉強しよう’と言われる事が解っているので)これは少し寂しい事なのですが、
それでも『習慣』の大切さはこの冬休みに身に沁みて実感しました。

 他の子より多くを望んでいるのではありません。
ただ、この子が成長して行った時に
困らない最小限の事を今は教えている状態です。
 例えば息子は今でも10までの足し算、引き算をする時に手を使います。
これは10までの数字の概念が頭に入っていない証拠です。
 掛け算も覚えたのは半分位でしょうか。後はまだ出来ません。
そして掛け算の応用も思いつきません。
2列、3列の数を数えるときに列の縦の数×列の数を掛け算で出せば簡単なのですが、
その方法も思いつかず、全部の数を指を使って数えていきます。
 
これではいくら掛け算を覚えても日頃の生活の中で役に立てる事が出来ません。

 息子が旅行中に私は工作用紙を使って、10までの数のカードを作りました。
1と9で10、2と8で10… 10から1を引くと9、10から2を引くと8…
といった具合で、足すべき数、引くべき数を折って隠せるようにカードを作りました。
 このカードの
イメージを息子の頭の中に入れて、
指を使わずに
イメージで答えを出せるような勉強をさせたいと思っています。
 後は10マスに線を引いたカードを3枚。これで10の単位の概念を頭に入れさせ、
10マスのカードが2枚で20、3枚で30といったように常に
目からイメージを入れて、
頭の中にその
イメージがいつでも引き出せるようになって欲しいと思っています。

 勉強の覚え方は人それぞれだと思います。
娘も中学2年生の時に
『どこが解らないのか解らない』とスランプに陥った時期があります。
 しかし、塾に行ってからはその壁を打ち破った様で、成績はどんどん上がりました。
 『習慣化』はもちろん一番大切な事。
後は、どういう教え方をしたら息子にすんなり理解できるかを探す事です。
 
『普通』の教え方では中々息子は理解が出来ません。
何より言葉の理解が苦手な息子です。それなら
視覚から攻めてみたいと思います。
何故なら息子は10円、1円、5円などの合計を数えるのはとても早いのです。
 それらは実際に10円玉を10の束と理解し、5円玉は10円玉の半分、1円玉を
10枚集めれば10円玉と同じ価値になると言う事を理解しているからです。
しかしそれが
数字となって問題になると、理解に苦しむ息子。これが大きな壁です。

 それでも
『音読』『読み聞かせ』『習慣』により、大分言葉の『意味』理解して
きている
と言語科の先生は仰いました。これも長年続けてきた『習慣』の賜物です。
 
『音読』の課題がなければ私は当然させなかったと思いますし、
『読み聞かせ』も同様の事が言えます。
 本来
『音読』は教科書の1つの物語りを1回読む事なのですが、息子にそれをさせようとすると、
その文字の多さに読む前に
『無理だよ!』と、読む事を拒否してしまいます。
そこで、毎日1ページずつ
『音読』を続けさせました。そして本当は自分で読むべき
教科書以外の読書も息子の選んだ本を私が
『読み聞かせ』しています。

 この
『習慣』は実に貴重な『習慣』だったようで、言語科の先生も『毎日続けている
ことで、ちゃんと言葉の意味、理解が発達していますよ』
と認めて下さいました。
 
『読む』事にも慣れて、車で出かける時などは、外の看板や、標識などを進んで
読んでいます。本も(マンガ本ですが)読み、懸賞のルールを理解し、応募したりしています。
 なので、目下の目標は
『書く事』『書く習慣』でしょうか。
自分の好きなテレビや、お出かけする日には忘れないように紙にその旨をちゃんと
書いて見える場所に貼ったりしていますが、漢字の書き取り、文章の書き取りなど、
自分がしたくない事に関しては中々取り組みません。
 毎日一行ずつでも、と取り組んではいるのですが、まだまだ
『習慣化』はされていません。

 そして勉強の前に日常生活でも
『習慣化』させたい事は山ほどあります。
靴を揃えて脱ぐ、靴下を脱ぐ、手を洗う、うがいをする、などなど…
課題は山積みです。

 そして困った事にたくさんの
『習慣』を一度に身につけさせようとしても中々難しく、
また、
2〜3日しないとすっかり忘れてまた始めからやり直しになってしまいます。
 
これは息子と私の根比べになってきます。
毎日私が声かけをして完全に
『習慣化』するまで続けないと、息子はあっさり忘れて
私に
『だってママが言ってくれないから忘れちゃうんだよ〜』と言います。

 私たちが毎日
『当たり前』の様に行っている行動。それも積み重ねてきた『習慣』です。
息子にその
『当たり前の習慣』が浸透するのにはまだまだ膨大な時間と根気と繰返しが
必要です。


 
『焦らない』『焦らない』と、自分に言い聞かせながら、
でも決して忘れないようにゆっくり確実に進んで行きたいと思っています。



 

出会いと別れ
 〜平成18年2月〜




 言語科に通い出したのは小児科の先生の『ボクはこの子が多動症には見えないんだけど』
と言う一言で、今の言語科の入っている病院の先生をご紹介して頂き、
担当ドクターの問診を終え、
言語に障害があるとの事で言語科に通う事になりました。
 言語科の先生はSTと言い、
言語療法の専門の先生です。

 息子が始めて言語科の先生に出会ったのは1年生の頃でした。
女性の先生でしたがとても気さくな安心するような笑顔を常に絶やさない先生で、
息子ならずとも私にとっても大きな支えになりました。
 以降現在に至るまで、一貫して週に1度その先生が指導を行って下さっています。
そして私はこの状態がずっと続くと思っていました。

 しかし先日その先生に『来年には定年になるけど、勉強は続けた方がいいから
新しい先生を今後時々同席させ、徐々に慣らして行きましょう』
とのお話しが出ました。
 私はせいぜい50歳前にしか見えなかったので、そのいきなりのお話しにはとても
驚き、動揺しました。(何とお孫さんまでいらっしゃるそうです)
 息子もそうですが、
私は息子以上に人に慣れ、心を開き、悩みを打ち明ける事が
出来ません。
先生も当然その事には気が付いていましたが、息子を優先させるか、
私を優先させるかと考えた時に
これから思春期に入って行く息子が、親に相談する事が
出来なくても、
男の先生なら相談することも出来るだろうと言う事で男性の先生に
決めたそうです。

 息子は先生に『男性の先生と女性の先生とどっちがいい?』と聞かれても、
『ママはどっちがいい?』私に聞いて来て、私はいきなりの質問に
『○○先生(今の先生)がいい』としか答えられませんでした。
冷静な息子をよそに私は『嫌です、嫌です…』と先生を困らせてしまいました。
 その場ではそれしか言えませんでしたが、夜布団に入ると涙が止まりませんでした。

 ある意味、その先生は
私の理想の先生でしたし、指導の仕方を毎回見せて頂いて
いますが、
自分もこんな風に息子に教える事ができたなら、もっと早く成長したのでは
ないかと
反省することも多々ありました。

 息子が成長をすると言う事は、それなりの年月が経つと言うことです。
あの頃1年生だった息子はもうすぐ5年生になります。
それなりに周囲の状況も変わり、在学校の校長先生も今の校長先生で3人目です。
 担任の先生は
2年生からずっと同じ先生に受け持って頂いていますが、
その先生も
同じ学校に5年しかいられないと言う市の取り決めで、もしかすると
6年生の時には息子の側にはいられないかもしれません。
(来年で5年目になるので)
 
6年生と言えばとても重要な時期になります。
 中学校への申し送り、そして何より
中学生になるという心構えを息子に自覚させて
下さる事が出来るのも、息子を
2年生の時から見ていて下さった今の担任の先生だけだと
思っています。
そして中学に進学した後でもその先生を頼って息子が相談に行く事もあるかも
しれないと思っていました。

 それ程私はその担任の先生を信頼し息子の学校生活を助けて頂いている
思っていますし、
息子がここまで成長できたのも先生のお陰だと心から感謝しています。

  私は毎年学期末に校長先生に会いに行きます。
今の担任の先生は息子に対しても大きな成長ももたらして下る力のある先生なので、
私の我侭で、図々しくも同じ担任の先生を、とは望めませんが、
敢えて一言だけお願いに伺います。
 ここまで息子を成長に導いて下さった担任の先生に感謝し、もし、もしも息子の障害を理解し、
今後の教師生活の為に是非息子の
担任を引き受けたいと仰る先生がいるのなら、
お任せします。と言った事もあります。
 しかし
現在に至るまで息子の担任の先生は現在の先生です。これが現状です。

 私の住む市では昨年から3学期制ではなく、2学期制となったり、同じ学校に先生が最長でも
5年間しかいられないとか、毎年の学級編成など、今までと異なる方針が打ち出されました。

 私にはその真意が全く理解できません。
 そして
文部省が発達障害児の支援について動き出した今でも、学校の先生を増やすどころか
校門に鍵を取り付ける為に60万円を使ったり、外壁だけを固めてその実、校内の
支援体制
今もって充実される兆しさえ見えません。
 確かに不審者から校内の生徒達を守るのは大切な事だと思います。しかし通級に通っている
学校の施錠システムは校門の高さが低く、息子でも簡単に乗り越えられる高さで、しかも校門の
内側から施錠を解除出来るようになっているので、場所さえわかれば、外から手を伸ばし施錠を
外し、簡単に中に入ることが出来ます。
もちろん監視カメラは付いていますが、そうやって外から
施錠を外して入っても、職員が飛んで来る事はありません。

これは全くの片手落ち、形だけの防犯ではないでしょうか?

 そして外からインターホンを押して施錠を開けてもらう為に、
常に先生の誰かがそのインターホンに対応できるように待機していなければならず、
さらに先生方の負担を大きくしていると思います。


 今まで息子を通して、色々な方にお会いし、話をし、助けて頂きました。
少しの間でしたが言語科の先生の紹介でOT(作業療法士)の先生に指導もして
頂きました。そして
運動の障害にも改善が見られました。
 息子がやっとその先生に慣れて来た頃に、問題が改善されたとの事で
作業療法は終了になりましたが、今でも病院でお会いすると、息子は笑顔で手を振ります。

 『ADHDの親の会』の皆様や、養護教育相談センターの担当の先生、
1年生の時の担任の先生、学童保育の先生方、療育センターの先生、
子供医療センターの精神科の先生と療育科の先生、と、本当に色々な方との
出会いと別れがありました。
 
そしてその方々のお力で息子も成長して行きました。

 別れはとても悲しい事です。
ましてや
息子にとってかけがえのない方達との別れは本当に私にとっても
身を切られる程の悲しさです。
 それでも別れがあれば出会いもあり、またその新しい出会いの中で息子も
私もきっと色々と学んで行く事がたくさんあると思います。


 『人生において無駄なことは何一つない』と、
息子を通じて私は学びました。
今まで出会った困難や悲しみ、悔しさなどは私の戦う力になりました。
 そして出合った方々から色々な事を学び、自分を振り返り、
息子と正面から向かい合う事を気付かせて頂きました。

 『普通であれば』『障害がなかったのなら』出会えなかった方々。
そして息子と向かい合う事は同時に娘に対しても向かい合う時間をもたらしてくれました。
 これからも息子を通じて
私は息子は色々な事を学び色々な方と出会い
そして別れを経験して行くと思います。


 それでも
出会えた事に感謝し、たくさんの事を学び、進んで行きたいと思います。
 そして別れのその瞬間には心から
『ありがとうございました』と笑顔で
感謝の気持ちを息子と伝えたいと思っています。

 また、5年生からは通級は経過観察にして塾に通わせてみようとも思っています。
きっとそこでも新しい出会いや、学ぶべき事など色々な経験をして行く事だと思います。



 
先日、嬉しいメールを大学生の方から頂きました。
その方は言語の障害を勉強なさっている方で、近日中に言語の障害を研究する
大学院の試験を受けるとの内容でした。
 このような方が今後も増え、世間にもっと発達障害の事を知って頂く機会が増えればと
とても嬉しく思いました。

 それと共に、是非
市の方でも先生方がこういった発達障害の事について
勉強が出来る機会と、時間を与えて頂き、少しでも先生方の負担が減るように

教師の増員を心から願います。



 

親離れ、子離れ
 〜平成18年3月〜

 

 娘はこの春に高校生になります。
今年になってから、願書の提出や試験など、自分だけで公共の乗り物に乗って
解らない時には駅員さんに聞きつつ、目標の高校に行ったりしていました。
 
 
思えば我が家は車で移動することが殆どで、家族で公共の乗り物に乗って
出かけたことがありませんでした。

 初めての出来事に娘は戸惑いつつも、私がネットで行き方を検索したり、
切符の買い方や、改札の位置などを教えるなど今更ながら当たり前の事を
教える羽目になりました。
 耳鼻科や眼科にも車で連れて行き、買い物も週末に一緒に出かけ、
美容院で髪型を美容師さんに伝えるのも私でした。
 
『時期が来れば一人で出来るようになるだろう』と、安易に考えていたのですが、
やはり
経験の無い事はいつまでたっても覚えるはずもありません。

 4月になり、混雑するバスと電車を乗り継ぎ、毎日高校に通う娘の事を考えると、
本当に不安でたまりません。
 今までが過保護だったのかもしれないと、最近反省する様になりました。

 未だに私に『抱っこ〜♪』と学校に行く前に抱きついてくる娘。
親離れしていないのか、私が子離れしていない結果なのかは解りませんが、
私の生きてきた人生の2分の一も生きていないこの娘がこれから私が体験してきた
ような事を一つずつ経験して行くのかと思うと切なくなりました。
 
もちろん楽しい事も多いです。
しかし辛い事、悲しい事、悔しい事も同じくらいありました。

 そして通学電車では痴漢にも多く遭い、嫌な思いをした事も多々ありました。
今は女性専用車両を設けている電車もありますが、娘の通う学校に行く為に乗る
電車や、ましてバスなどにはそういった措置はとられていません。

 私が仕事に行く時に、娘と同い年位の学生を見かけると、
なるべく側に付いて、男性と接触しないように無意識に気を使ってしまいます。

 これはやはり、私が子離れをしていないのかもしれません。
娘や息子をまだ
自分の分身だと思う気持ちが強く、娘や息子が傷ついたり
悲しんだりしていると、わが身のように辛く感じ、客観的に良いアドバイスを
与えられない事もあります。

 また、最近は子ども絡みの悲しい事件をよく聞きます。
やはりそういう時もその子どもの親にに感情移入をしてしまって、犯人に対して
強い憤りを感じます。特に幼い、まだ何も防御力を持たない子どもに対する犯罪には
犯人を殺してやりたい、公開処刑にして欲しいなどと思ってしまったりもします。





 私の母は正に昔の
『母』という感じの母親でした。
看護婦という仕事柄、夜勤があったりでかなり身体的にも辛い仕事をしていました。
ましてや子どもを産んだのは40歳という高齢で、心身ともに成熟した年でした。
 なので、私は母に撫でられたり、抱っこをされたり、言葉で愛を伝えられた覚えもありません。
『母』は正に『母親』で、近寄りがたい威厳と甘えを許さない厳しさを持っていました。
 
 その為に私は自分の事は自分で。
掃除はもちろん食器洗い、朝食の支度、片付けなどを当たり前のようにやっていました。
 小学校の頃には鼻炎の為に、週に数回一人でバスに乗って耳鼻科まで通っていました。
なので、高校への通学にも不安を感じる事はありませんでした。
 
 父は母より一回り年下で、公務員として働いてはいましたが、厳しすぎる母とは
あまり仲は良くなく、私が物心が付いた頃には同じ敷地の別の家に住んでおり、
生活費は一切家に入れていませんでした。

 そして常に女性の影があり、母もそれを黙認していました。
それは子どもの私にも何となくわかっており、
父の存在を
『父親』として受け入れる事はできませんでした。
 なので、高校を卒業すると寮のある会社に就職し、さっさと家から独立しました。

 私は小さい時から無意識に
『親離れ』をしていました。
そしてそれでも寂しいと感じなかったのは、1歳年上の姉の存在があったからだと
思います。相談や助言をもらうのは全て姉からでした。

 小学生の頃の娘は私とよく似ていて内気な子でした。
だからこそ私は
自分の母を反面教師に何でも相談できる『母』という存在に
なりたいと思っていました。

 小学生の頃の私は太っていて、よくからかわれていました。
しかしその事を母に相談すると『太ってないわよ。今くらいで丁度いいわよ。
昔は食べたくても食べれなかったんだから』と、食事を残すことは許されませんでした。
でも、学校での生活は苦痛以外の何物でもなく、『死』を考える事もよくありました。
 娘にはそんな思いはさせたくない。
何でも相談して欲しいし、一緒に解決していきたいと心に決めていました。

 果たして娘はそのように育ちました。
もうすぐ高校生になるにも関わらず、平気で私の前で裸になって着替えたり、
朝は必ず着替えが終わると学校に行くまでの時間を私のベットの中で過ごします。
娘が来れば当然息子もやって来て、にわかに私のベットの取り合いになったりもします。
 思えば私は母の部屋には入れませんでした。ましてや母の布団で寝た記憶もありません。

 『友達親子』なる言葉が一時流行ったりもしましたが、専門化の先生のお話では
『母』はあくまでも『母親』『子』はあくまでも『子ども』として親の威厳
なければいけないとのお話を聞いた事があります。
 確かにその通りだと思います。
なあなあの親子関係では厳しい躾は出来ません。
子どもにとっての親の存在はあくまでも
『将来のお手本』そして親は子どもに
必要最小限の礼儀作法や掃除の仕方、料理の仕方、片付け方、など等将来子どもが
自立した時に困らない事を教えなければならないと考えています。
そして私は反省しています。

 恐らく娘も息子もいざとなったら
『ママが何とかしてくれる』という甘えがあると
思います。そうしてその意識を芽生えさせてしまったのは私です。

 子どもは親が思っている以上に色々な事が出来ます。
そしてその力を発揮するには
『待つ』と言う事がとても重要な事だと思います。
常に時間に追われている様な感じを受けている私は
『待つ』ということがとても苦手です。
ついつい手を貸したり、
『こっちはやっておくからあっちはやっといてね』と、
先を急がしたり、それでもやっていないと、文句をいいつつ自分が動いてしまいます。

 特に息子は苦手な事を行動に移すまでにとても時間がかかります。
遊びを中断して、私の指示に従う事が非常に難しいのです。
側で見ている私は次第にイライラして来て、ついには手を貸してしまいます。
 問題を解いている時もそうです。
一生懸命考えている息子に
『それはこう!』と、答えを言ってしまう事も多々あります。
そんな事をしておきながら
『はぁ〜こんな問題も解らないの…』と、溜息を吐く私。
これでは息子も勉強が身につく訳はありません。時々私の顔色を覗いながら
『ママ、怒らないでよ。今考えているんだから』と、ビクビクする時もあります。

 しかし、これではいけないと今年から自分で時間割を揃える事を教えたところ、
今では私が声をかけるだけで自ら時間割を揃える事ができるようになりました。
もちろん私が後で確認すると、忘れ物もあったりします。
 それでも、5年生を目前にやっと時間割を揃えるという行動が出来るように
なりました。そして
一旦その習慣が身につくと、文句を言うこともなく
行動を起こせるようになったのです。 

時として
『今日は疲れているからボクが時間割を読むからママが揃えて』と、
言う事もありますが、それも滅多にない事です。

 そして娘も自分で公共の乗り物で学校に願書を出しに行ったりした事で、
行動範囲が広がりました。
 最後の受験が終わった次の日に先日ゲームを一緒に買いに行く約束をして
いたのですが、急に私が出社になってしまい、娘に
『自分で買いに行って』と言うと、
娘は意外にも
『解った。お金ちょうだいね』と、あっさりと頷いたのです。
 昔なら私が仕事帰りに買って買えって来る事になったと思います。
しかし娘はバスでデパートに行き、そこに置いてないと、更にバスで大きな駅に行き、
何件かのお店を見て、
最終的にはちゃんと自分で買い物をしたのです。

 
子どもの成長は親が考えるよりずっと早いです。
『出来ないであろう』『無理に決まっている』その先入観
子どもの
成長の大きな妨げになる事を私は娘の出来事を通じて学びました。
 
『自分でやってごらん』と、まず子どもにさせてみる。
そしてその事を見守っている事にイライラを感じるようなら、側を離れる。
そして出来た時には大いに褒める。
出来なかった時には何故出来なかったかを一緒に考える。
その時間と気持ちの余裕が子どもを大きな成長に結びつけると確信しました。

 そして、娘は高校入学を前に、更に成長しました。
息子との付き合い方です。
 今年に入って受験目前になった時に、きっとイライラして息子に当り散らすだろうと
心配していた私の考えをよそに、娘は学校から帰って来るとすぐに塾。
そして家に帰って来ると気持ちの切り替えか、
息子とゲームをしている場面を多く見かけました。
 日曜日も朝から夜の8時位まで塾に通っていた娘は息子との他愛のない会話で
勉強の疲れを癒していたのかもしれません。
そして息子が眠ると自分の勉強に取り組んでいました。

 そして先日、こんな出来事がありました。
例によって学校のプリントをたくさん持ち帰って机の下に隠してあったのを発見した私は、
当然息子にゲームを中断させて勉強をさせました。
 もちろんいつものように隣に付きっ切りです。
ゲームを中断させられた事で、
中々気持ちの切り替えが付かない息子と、たくさんの
プリントを1枚でも多く終わらせたいと
焦る私
 当然
『早く』『まだ?』など、息子の気持ちを煽る言葉が次々と出て来てしまいます。
それを側で見ていた娘が私に言いました。
『ママ、疲れているんじゃない?
私が代わるからママは自分の部屋に行っていていいと』
と。
確かに疲れていた私は
『うん。お願い…』と、娘に一言いい、
自分の椅子に座って隣の様子を見ていました。

 息子も私から娘に代わった事で少し気持ちに余裕が出たのか、
娘と冗談を言いながらも課題を進めて行きました。
 そしてプリント3枚を終え、最後に音読の課題になると、普段は1ページしか読ませない
のですが、塾の先生から、1節分の漢字を読めるようにとの宿題が出ていたので、
1節読むように言うと、息子は
『そんなの無理に決まってるよ〜出来ないよ〜』
床に転がり、泣き出しました。しばらくほおって置き、尚も泣き止まないのでついつい
私は
『今の泣いている時間でとっくに終わったと思うけど』と、口を挟んでしまいました。
 それでも娘は黙って息子を待ち、しばらくしてから
『音読やるの?やらないの?』
聞きました。息子は答えずうずくまったままで、何やらブツブツ言っています。
 
私だったらその時点できっとページ数を減らしてやった事でしょう。
ところが娘は尚も息子に
『音読やるの?やらないの?それだけ答えて』と、
言い続けました。
 その間10分か15分か経った事でしょう。私には考えられない時間の長さです。
しかし、息子はいつの間にか読み始めていたのです。
しかも気持ちを切り替え、ちゃんと発音をしています。そして読めない漢字が出てくると
私ならすぐに
『これは○○って読むんだよ』と、教えるところ、
娘の教え方は
『この漢字、二つとも読めない?どっちか読めるでしょ』と、
根気良くあくまでも息子が考える時間を与え、読み方を導き出そうとします。
そして
息子は一つの漢字を読み娘はそれを大いに褒め『これは○○するって事だよ』と、
尚も答えを言わず、
息子が自分で読めるように時間を与えていました。
 そして息子はちゃんと漢字を読み、娘は
『ちゃんと読めるじゃん〜』と、
息子を褒めました。
 結局息子の寝る時間になったので、娘が息子に
『はい。じゃあ、ゲームセーブして寝なさい〜』
言うと、息子は素直にも
『は〜い』と返事をして(私だったらきっと息子はママのせいでゲームする時間が
無くなった!と、苛立ちを現していると思います)

素直にゲームをセーブして、娘の布団に潜り込みました。
 娘は
『こらこら、そっちじゃなくて自分の布団だよ〜』と、息子に言い、
最後に読み聞かせも娘に頼み、私は自分の部屋でぼ〜っとしていました。

 息子がやっと布団の中で落ち着くと娘は私の所にやって来てこう言いました。
『ママは時間が無いから仕方がないんだよ。私は時間があるから、時間がある方が
教えればいいんだよ』
と。そして『元気出せ』と、私の肩をポンと叩きました。
その言葉に娘の成長を感じ、そしてこの数ヶ月でこんなにも頼り甲斐のある言葉を
言うようになった娘に対し、
本当に子どもの成長は早いなぁと、改めて感じました。
 
そして息子もきっと私の想像以上に成長しているんだと思いました。


 
私はあまりにも先を急ぎ過ぎました。焦り過ぎました。
そして息子の事を『出来ない子』だと、思い過ぎました。
その結果、息子は私の行動パターンを予見し、わざとではないと思いますが、
『出来ない子』でいると、私が勝手に答えを言い、時間割を揃えるのを手伝い、
常に先回りしてくれると私の事を思っている
(娘に言わせれば、ナメられている)
ようです。

 私の頭の中では
息子は1年生のままで、常に手を貸さないと
『何も出来ない』『考えられない』と、思い込み過ぎているようです。
 
しかし子どもは成長しています。そしてその成長に必要なのは時間です。

 人は常に進歩し続け、色々な物を発明し、考え出して来ました。
例えば箒と塵取りで昔は掃除をしていましたが、やがて掃除機が発明され、
掃除は格段に楽になりました。そしてその掃除機もサイクロン方式が発明され、
更にフィルターを取り替える手間までなくしました。
 リモコンが開発され、遠くからでも楽に操作出来る様になり、コードレスの電気器具が
多数出回り、インターネットの世界では、家に居ながら、好きな時に好きな買い物が
出来るようになりました。

 しかし子育てに関して
『楽』『便利』はありません。
その子どもに合った勉強の方法、考え方、答えの導き出し方は
絶対に一律ではありません。
 そして私のようなやり方では、息子はグズグズしているだけで答えを私が言い、
時間割を揃え、部屋を掃除し、何でもやってくれる
『リモコン』に過ぎなくなっています。

 
『うちの子は何も一人では出来ないのよ〜』と言っている私は
実は子離れをしていないバカ親なのかもしれません。

 
子どもの成長は本当に早いです。
親が考えている以上に親から独立をしています。
時間とチャンスを与えれば、
実は結構一人でやって行ける力を持っているのです。

 4月には息子は5年生になります。
これを一つの転機と考え、私もいつまでも
『1年生の時の息子』と言う考えから離脱し、
『5年生』の息子と付き合って行きたいと思います。


 

 

   言   葉
   〜平成18年6月〜

 

 息子が1年生の頃は何度言っても同じ事を繰り返す息子に対し、
殴りました。  蹴りました。 ひっぱたいた事も数え切れないくらいあります。
 しかしそれら
(体罰もしくは激情の混ざった虐待かもしれません)
何度やっても、息子はまた
同じ事を繰り返します。


 
子どもを殴るのはとても辛い事です。
その時の自分の掌の痛みは今も思い出しますし、忘れる事は出来ないと思います。
 そして息子は
『殴られたり』『蹴られたり』『ひっぱたかれた』という出来事のみを覚えていて、
何故、自分がそうされたのかは忘れてしまっています。

 そんな事を繰り返し、少しずつ息子に対する根気のいる対応を覚え、息子の事を理解しようと思い、
また、2年生になって良い担任の先生にも恵まれ、
息子の問題行動(主にその頃の問題行動とは
お友だちを叩いてしまう、お友達の持ち物を隠してしまう、等でした)
が収まり、
後は
授業放棄校内徘徊、など、担任の先生にはご迷惑をおかけしますが、とりあえずお友だちに
対しての問題行動は一段落し、私の気持にも少し余裕が出来てきました。


 しかし、1年生の頃から、勝手に授業中に出て行っても、授業に参加せず校内を探検しても
特に叱られなかった息子は、未だに授業中に抜け出したり、参加しない事も多々あります。
それが結果、大幅に授業から遅れ、
遅れた事により授業を受けていても皆について行けず、
また教室から抜け出すという悪循環に繋がってしまっています。


 言語性に障害のある息子は、動作性
(算数や迷路、パズル等)に対しては標準値を上回る
知能を持っています。にも関わらず
『楽を覚えてしまった』息子は、どうしても自分から
『学ぼう。遅れを取り戻そう』という気持は芽生えず、算数についても、文章題になると、
すぐに諦めてしまいます。

 ここ数年で、息子は少しずつですが確実に成長していると感じます。
『語彙』も増え、娘やお友だちとの喧嘩も中々負けてはいません。
咄嗟に言い返せると言う事は息子にとっては大きな成長です。
 昨年までは娘と喧嘩しても、言い負かされてしまったり、意味が解らず
泣いてばかりいましたが、今は対等にやり合っています。
 
『喧嘩』は決して褒められる事ではないのですが、自分の意見を言える、
言われた事に対し、反論が出来る。
それは私にとってはやはり嬉しい成長でもあります。

 息子が1年生の時に、学校に様子を見に行きました。すると担任の先生から
『学校の近くの道路で信号待ちをしていた車にツバを吐き掛けられた』と、学校に苦情が
来たと言われました。更にその運転手さんはランドセルに黄色いカバーを着けていたから
1年生だと言われたそうです。
 
担任の先生はそれを息子の仕業じゃないかと私に言いました。
その道は息子の通学路ではありません。しかし担任の先生は確信を持っていたようでしたので、
私は謝罪をしました。ただ、納得の行く状況ではありませんでした。
 その数日後。息子と買い物に行っている時に
『○○君って悪いんだよ〜』と、息子が言いました。
何の事かと聞くと、
『だってね、車にツバをかけたんだよ』と、思いもかけない言葉が返って
きました。
私は『何でそんな事を知ってるの?あなたはそれを見ていたの?』と聞き返すと
『ううん。○○君が自分で言っていたんだもん。ボクはそんな場所通らないじゃん』との事。
私はそれ以上言う事は無く、ただ悔しさだけが込み上げてきました。
 
 学校で何かが無くなる、壊れる等はたいてい息子がやっていると思います。
お友だちを叩いた事も何度もあります。 
ただ、どんな些細な事でもそれには息子なりの理由が存在します。
 ただ、どうして
『そうしてしまったのか』『何故そうしたのか』と言う説明をその頃の息子には
まだ出来ませんでした。
言葉が見つからなかったのです

自分の感情を表現出来るほどの
『言葉』持っていなかったのです。
 なので息子の行動は結局一方通行のように、相手の言い分が全てになってしまいます。
その頃の私は
『どうしてそうしてしまったのか』と、とにかく息子の気持を知りたくて
何度も何度も聞きました。しかし息子はただ泣くばかりで
『忘れた』としか言いませんでした。

 
息子に色々な言葉を教えたい。言葉の意味、大切さを知って欲しい。
『言葉が欲しい』
 そんな思いで毎日を過ごしていました。

 そして5年生になった今、息子は色々な
『言葉』を使うようになりました。
もちろん良い事ばかりではありません。
『ウソ』『いい訳』『罵声』なども同時に使うようになりました。
 それでも
『言葉』でのコミュニケーションがとれるようになりました。
そして息子の気持考え苛立ち等も解るようになりました。

 息子を叱る時はまず正座をさせ、一つずつ問題を挙げ、
それに対しての息子の考えを聞き、言葉で意見を交わせるようになりました。
前までは叱る時は
『3分以内。一つの事について』と、心がけていたのですが、
今は数十分私の話を聞けるようになりました。
 それがどの位息子に伝わっているかは解りませんが、
とりあえず
『人の話を聞ける』状態にまで成長したのは事実です。

 しかし、
『言葉』だけが叱る手段ではありません。
時には徹底的に
『無視』をするのも一つの手段です。
 先日、塾を無断でサボった時には、まず約束を破った事を認識させ、塾の先生に迷惑を
かけた事、そして何の為に塾に行く必要があるのかを再認識させ、その後は
『無視』をしました。
 息子の口からは
『ごめんなさい』の言葉は出てきませんでした。
ただ、いつもは
『言葉』で叱られるのに、『無視』をされた事により、
私の怒り、失望は充分に伝わったと思います。
 その夜、いつも自分から行動を起こさない息子がランドセルを自室に持ってきて、
時間割を自分で揃え、音読をしていました。

しかし、私は息子の部屋との仕切りのドアをしっかり閉めていました。
 息子は時折
『ママ〜』と、私のご機嫌伺いをして来ますが、これも『無視』します。

 
言葉で私の気持を説明するのは簡単です。(息子がそれらを理解出来ているかは別として)
そして言うだけ言えば息子は
『ごめんなさい』と謝って、それで終わりになってしまいます。
 それで許せる問題もありますが、今回は敢えて
『無視』をし続けて息子に少しでも考える時間
(私に『無視』されている間は自分がした行動について嫌でも思い出すのでを持って、
2度と同じ事をさせたくないと思いました。
 そして次の日には就寝時間になると、自ら電気を消して布団に入りました。

 しかし
『無視』をする時間が長くなると、息子の中でその状況に慣れてしまうので
(うちには娘がいるので、娘と遊んだり、祖父の家に行ったりしてしまうので)
大体24時間を目処に、本人の中で
『まずかったな』と、認識出来た位で『無視』は止め、
後は普段どおりに接するようにしています。
 もちろん
『無視』した事についての説明と、『それだけしてはいけない事をした』という
事実を再認識させ、
今回は塾をサボったので、サボった分の勉強をさせました。

 しかし
『無視』をしている間、息子はいつもは叱っても中々やらない事を、
ちゃんと一人でやっているのです。

つまり学校のみならず、家庭でも息子の
『甘え』に振り回されている部分があるのです。
これは紛れもなく私の責任です。

 
『まぁ 学校で疲れているんだから、これ位手伝ってもいいかな』とか、早く終わらせたいから
時間割を揃えるのを手伝ったり、宿題を手伝ったり(答えを教えてしまう時も多々あります)
そうして甘やかしてしまった事が息子の成長の壁になっていると反省しました。

 私の中での息子はまだ『1年生』
の時の面影が色濃く残り、『出来ないだろう』
『手伝ってあげるべきだろう』などと、私の行動がマイナスになってしまっている事実があります。

 泣いて暮らしていた1年生の頃。
あれからもう4年の月日が経っているのです。
これからは
『息子の出来る事』『息子にやらせる』そして『習慣化』させる事が
何より大きな課題だと思いました。