比 べ る こ と
  〜平成17年4月〜

 

 ある日、子どもに勉強を教えていて、あまりにも呑み込みが悪いので、
『先生とママ、どっちが教えるのが上手なの?』と怒りながら聞いたことがあります。
息子は一瞬キョトンとしてからこう答えました。

『そんなの解らないよ。比べたことなんてないもん』

 その一言にハッとさせられました。
『比べること』
私は無意識にいつも息子と同年代の子どもを比べてしまっているのです。
通級に行く日に息子を教室まで迎えに行くと、廊下に書道や、絵などが飾られています。
教室の中には図工の作品が並べられています。
 そして、子ども達のしっかりした会話を聞きます。
時には
『今日はY君、ちゃんと席に座って勉強していたよ』などと、
私に教えてくれる子もいます。
 しっかりしているなあ。。。これが本来の4年生なんだ。。。
そう思う時点で私はもう他の子と息子を比べてしまっているんです。

 比べても仕方のないこと。
そう頭では思っていても、現実を目の当たりにすると、やはり心中は穏やかではいられません。
比べることによって、他の子どもと同じスピードで勉強を教えても、息子の頭には入りません。
2年生でやっと、ひらがなとカタカナを覚えた息子。
3年生になり、やっと簡単な九九を覚え、『川』『森』『雪』などの簡単な漢字を書き出した
息子。

 
比べてしまえば辛くなります。
でも、去年は自分の名前も全部ひらがなだったのに、今は漢字で書けるようになりました。
少しずつ、少しずつ成長している息子。
 私のやるべきことは、目の前にいる
息子のスピードに合った成長を手助けすることです。

 人間は
『比べること』『他人と同じように行動すること』が習慣化されているように思えます。
一見並外れた息子の行動も、大昔の時代に育っていたなら、
それは誰からも非難されることはなかったと思います。
 自分の身を守る。生きて行く為に必要な事を覚える。そして行動する。
それが出来ればよかったのですから。

 
目から入る刺激に敏感なのも、大昔なら役に立ったと思います。
息子は絶えず何かを見ています。音にも敏感で、行動力も早いです。

 ただ、この時代。とりわけ集団行動の中では息子のその特性は
マイナスになってしまいます。
『せめてみんなと同じに』そんなことをいつも考えている私は時には息子の良さを
打ち消してしまっている
のかもしれません。

 時々、どこか遠くの山奥で暮らしたいと思ったりもします。
自分で木を切って、家を立てて、小川で水を汲んで、夜は電気がないから、暗くなったら眠る。
息子はきっとそれらの仕事をすぐに覚えて、すぐに行動できると思います。
 ゲームの出来ない環境に始めは苛立つかもしれませんが、
そのうち木々の枝に紐を通してブランコを作ったり、ハンモックに揺られてお昼寝したり。。。
 川で魚を捕って、火で焼いて私にご馳走してくれることでしょう。

 しかし、今の時代に産まれた息子は、集団のルールの中で生きていかなければなりません。
みんなと
同じように着席して授業を受け、体操服に着替えて、みんなと同じ運動をして、
お腹が空いていなくても、12時には
みんなと一緒に同じものを食べる。
 
それが出来て当たり前。できないのがおかしい。
みんなが当たり前にやっている事。だから息子にもそれが望まれる。
この先ずっと。死ぬまでずっと。

 
『比べたことなんてないもん』
そう言った息子は、だからこそ皆と一緒の行動から外れていても、
『いけないこと』『おかしいこと』だと、認識していないのかもしれません。

 
『ママは何歳まで生きたい?』と息子に聞かれたことがあります。
私の答えは、
『Yとお姉ちゃんが自分の進む道をみつけ、
ママを必要としなくなるまで生きたい』
と答えます。 本当にそれだけです。

 この子たちの人生が開かれるまで、あと何年かかるかわかりませんが、
私はそれを見届けたいと切望します。
私の元から
『じゃあね』と去っていく子どもたちの後姿を目に焼き付けて
私は死にたいと思います。


 正直、子どもを産むまで私は子どもが苦手でした。
何だかわからないけど、すぐ泣くし、怒るし、公共の場所で騒ぐし、
そしてそれをなだめている親も本当に大変そうに見えたから、
自分は生涯子どもを産まないだろうとさえ思っていました。
 だけど、第1子を妊娠した時に、嬉しくて泣きました。
そして第2子、Yの出産。
 Yの誕生によって、それまでよりより多くの子育ての
苦労と喜びを知ることになりました。
それと同時に
本当の意味で親になった気がします。
 
産むだけじゃない。食事を与えるだけじゃない。
子育ては本当に子どもを見つめることなんだと。
そして一緒に考え、共に育っていくものなんだと。


 
『比べたことなんてないもん』
と言う息子の言葉は、いつも周りを気にして生きてきた私にとって、
私の考えに対して、大きな風穴を開ける言葉でした。
 
そして、そんな言葉を言える息子が私は大好きです。



 

   書くことの意味
      〜平成17年4月〜

 

 息子のHPを作成し、私は今までのありとあらゆる出来事を振り返り、
書き溜めておいたものをこうしてHP上に発表しています。
『何もそこまで・・・』とか『そこまで書いたら子どものプライバシーがない』
思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 
でも、私はこれからも息子の成長をこのHPに書き続けたいと思っています。

 ここに来るまでは、本当に試行錯誤の毎日でした。
私に何ができる?どうすれば受け入れられる?
何をすれば息子にとっていいことなのか。
わからない。わからない。助けて欲しい。
そんな思いで毎日を過ごしてきました。

 
学校に対してどうすればいいのか。相談機関はどこにあるのか。
どんな病院にかかって、どんな治療法があるのか、もっと出来る事はないのか。。。


 今は何とか校内支援、通級、言語療法の
3本柱に支えられながら、
何とか安定した環境を維持していますが、
ここに来るまでの道のりは果てしなく遠く、絶望的で、先の見通しは全くなかったです。

 正直、神様に
『何故、私にこんな子どもを授けたのか』と呪ったこともあります。
離婚して、保育園の送迎や、病気の度のお迎え、通院。。。
忙しい毎日に追われ、それでも何とか小学校に入学して、
 やっと、
自分の時間が持てる。仕事も残業ができる。仕事帰りに同僚とお茶もできる。 
そう思っていた矢先の出来事でした。

 同級生に暴力を振るい、授業中に校内を歩き周り、学校の備品を壊す息子。
何度も学校に足を運び、夜には同級生宅に謝罪の電話を入れる毎日。。。
 仕事を退職して、学校に付き添い、ネットや書物で息子の障害の情報を集め、
講演会や親の会への参加。。。
 
毎日がクタクタでした。
 胃炎になり、逆流性食道炎になり、膵炎になり、癌の疑いもあったりと、
体の方も限界でした。

 そんな中で私が思ったことは、
『私のような親を少しでも減らしたい』という思いでした。
そして、経験は何よりの力になると知りました。

そして、私がこれまで経験してきたことを何とか生かしたい。と考えるようになりました。
 もしかしたら私はその為に産まれてきたのかもしれないとさえ考えるようになりました。

 このHPには、保育園から療育センターを紹介されて、
以降、色々と私が辿って来た道のりが書かれています。
 もし、今、昔のような私の立場で悩んでいる方がいらっしゃったら、
是非、参考にして欲しいです。少しでも力になりたいです。
 
そして、子どもは必ず成長していくものなんだという希望を持って欲しい。
そう思っています。


 
そして、出来ることなら、成長した息子にこのHPを引き継いで欲しいと思っています。
障害を持って産まれた息子が、今をどんな気持ちで生きているのか、
どうしてそのような行動を起したのか、何を考え、思っていたのか。。。
 今度は当事者の視点から見たHPにして欲しいと思っています。

 それまでは、私は息子の成長を見守り、
その軌跡をこうして形にして残しておきたいと思っています。

 
どんな子どもにだって光輝く未来はあるのだと信じて。




 

褒められること
 〜平成17年5月〜

 

息子は『褒められること』が何より好きです。
言葉で
『頑張ったね』と言われる事も喜びますが、毎日『いい子いい子して』と私に言います。
『抱っこして』とか、他のスキンシップを望む事はあまりありませんが、
毎日と言っていいほど
『いい子いい子して』と言います。
 
『Yはいい子だね。よく頑張っているね』と私が褒めると、『じゃあいい子いい子して』
言います。
それが息子にとって
一番心地よいスキンシップなのかもしれません。
そして、それが息子にとって落ち着ける方法なのかもしれません。

 特に何もしていない時にも
『今日はまだママはいい子いい子してくれていないよね』
とも言います。

 1年生の頃に息子の行動を否定し続けてきた私。
そして、その中で
『何故なんだろう』と、自分なりにきっと考えてきた息子。
それが今、こういう形になって私に向けられているように感じます。
何故なら
『いい子いい子して』と言う要求は私以外には例え祖母にでもしないからです。

 子どもにとって親とは何より自分の
『理解者』であり、
『自分のことを認めてくれる存在』だと無意識に思っていると思います。
 なのに私は息子を、息子の行動を否定し続け、非難し続けてきました。
私も苦しかったです。
でも息子はそれ以上に理解できないまま苦しかったと思います。

 息子のことを理解しようと頑張ってきた時間、そして私自身を変えようと考えてきた時間。
決して短くはないその時間の間に息子を劣等感に落とし入れてしまったのかもしれません。
『どうせボクはバカだから・・・』と、自虐的な言葉を吐いたのもその時期でした。
そしてその言葉を言わせたのは他でもない
私自身でした。
『そんな問題もわからないの?ばっかじゃない』とか、『バカだと思うなら努力しなさい』などと
追い込むような言葉を何度も言いました。
『言葉』と言うものがどれほど相手の心を傷つけるか考えもしないで言ってきてしまった私。
そしてその時期はそんなことを考える
余裕も私にはありませんでした。

 そして、誰かを変えようとするのなら、まず自分が変わる必要があると痛切に思いました。
上辺だけで付き合っても息子には通用しません。

 
息子は私の言動、機嫌を常に見ているからです。
そして私の機嫌が悪いと感じた時には、
『ママ、疲れてるの?』とか『お仕事頑張ってね』などと
息子なりに気を使うこともするようになりました。
周囲の状況を把握する力の弱い息子にしては大きな進歩かもしれませんが、
それだけ息子は私のことを
常に見ているということです。
 この息子なりの気の使い方は1・2年生の頃には全く見受けられなかったことです。
常に自分の要求を押し通し、要求が通らなければ大声を出す、物に当り散らすことが
息子の気持ちの表現の全てでした。
 
そんな息子の成長(気の使い)を見る度に私はまず自分が変わること。
息子の良い部分を見つけ、褒めること。
そして何より息子の心を受け止めることの大切さを知りました。


 4年生にもなると、勉強も結構難しくなってきます。
そして、私も遠い過去に習ったことなので、教科書片手に教えている有様です。
でも、今の教科書は薄いんですよね。 テスト問題の内容を調べようとしても載ってなかったり、
別のワークブックも一緒に解いていかないと、躓くことも多々あります。
『これは私専用の参考書も必要かな』などと真剣に考えてしまいます。
 そして何より息子から
『文字の書き順が違うよ』とか『その文字、読みづらいよ』などと
生意気にも指摘されたりします。
 そうです。大人になると文字の書き順なんて大した問題ではなくなるのです。
そして大人になるにつれて、必要な分野、全く不必要な分野などが分かれてきます。
子どもであるうちには色々な可能性を秘めていて、学校教育も一通りのものを教えようと
多岐に分かれています。
でも、大人になった私は遥か昔に習った不必要な勉強は全く記憶の彼方に吹っ飛んでいます。
 数の単位、兆・京(けい)・垓(がい)・丈(し)・壌(じょう)・溝(こう)・砂(かん)・正(せい)・載(さい)・
極(ごく)・恒河沙(こうがしゃ)・阿僧梢(あそうぎ)・那由他(なゆた)・不可思議(ふかしぎ)・
無量大数(むりょうだいすう)なんて単位はこれからも一生お目にかからない単位です。
息子に教えるときなどは指を使って計算したりしています。。。
 たまに、私より息子のほうが早くできるようなこともあり、
『う〜ん。すごい。』などと
感じることもあります。


 それでも同学年からは大きな差がある息子。
勉強に関しては褒められることなどあまりないのが現状です。
でも、敢えてその現状の中で頑張っている息子を私は褒め続けます。
褒めることができるように、少しの変化にも気をつかいます。

『出来て当たり前』という考えでは、
息子を褒めることができなくなってしまいます。
現状の息子を見て、まずやろうとしている努力を
褒め、最後まで取りかかかった粘りを褒め、
途中で投げ出さなかった事を
褒め、約束どおりにちゃんと出来た事を褒め、
間違った箇所をちゃんとやり直した事を
褒めます。
 そしてその度に息子は
『いい子いい子して』と私に言います。

 言語科に通い出して、もう4年になりますが、
その間、言語療法士の先生が息子を
叱ったり、否定したことは1度もありません。
息子が中々取り掛からないときにもとにかく
褒めて、辛抱強く語りかけます。
『出来るんだよ』『これは4年生の問題だったんだよ』『ちゃんと1人で出来たじゃない』等と。。。
そして息子も言語科に行くことに全く抵抗をしません。
気分が乗らないときは
『今日は3枚しかできない』とか、『今日は疲れた』とか言いますが、
いつの間にか、ちゃんと課題に取り組んでいます。
 先月、見学の先生が来ていて、全く取りかかからない日が2週続けてあった翌週に
『今週は言語科はお休みだからね』と私が言うと、息子は不安そうに『もう先生が来るなって
言ったの?』
と私に尋ねてきました。そうです。息子は何より言語科の先生が自分を認めて
くれている先生だと自覚があり、だからこそ言語科に行くことに抵抗を示さないのです。

『違うよ。今週は先生の予定が一杯だから無理だったんだよ。来週は行くからね』
私が言うと、
『あ・そうなんだ』と安心したような表情を浮かべ、『じゃあ今週は友達と遊べるね』と嬉しそうに笑いました。

 1年生の頃、初めて息子を受け止めてくれた先生はかかりつけの小児科の先生でした。
リタリンとテグレトールを飲ませていると言う私の言葉を少し考えて、
『僕にはこの子が多動だとは思えないけど』と仰って下さいました。
もちろん小児科に行く時は具合の悪いときですが、
『それでも多動の子どもはじっとしていませんよ』と。
そして現在の言語科を紹介してくださいました。
 結果的に、言語能力と動作能力に大きな差があることがわかり、
今は言葉の勉強を主にしていますが、私はこの小児科の先生が大好きです。
息子と、私のどうしようもない気持ちをいつも受け止めて下さいます。
その先生と話していると、気持ちがとても楽になります。

 とても人気のある小児科で、待合室には大勢の患者さんと保護者がいますが、
どの患者さんにも保護者にも時間をかけて接して下さいます。

 そして2年生から現在に至るまで学校生活を支え続けてくれている先生。
この先生に出会えたことは
本当に幸せなことだと思います。
先生との
相性によって、勉強に取り組む姿勢に差が出てくると聞いた事があります。
その先生の教え方によっては、その教科が好きになることも、嫌いになることもあります。

 そして息子は学校生活を楽しんでいます。
まだ、勉強が云々の次元ではありませんが、学校に行くことに抵抗を示しません。
そして、学校での出来事をたまに話してくれるようになりました。
出来ればこの先生に息子が卒業するまで勉強も含め、色々な事を教えて頂きたいと
望んでいます。


 ただ、今は毎年学級編成や、先生の移動など、色々な問題があります。
一クラス30数人を1年で把握できるものでしょうか?
子どもの個性はそれぞれ違います。
出来れば長い目でそれぞれの子どもを見て、育てていって欲しいと願います。
 
そして、このような先生がもっとたくさん増えていって欲しいと切に望みます。
学校生活は勉強だけじゃない。例え勉強であっても学ぶことは楽しいことなのだと。
時には教室を出て、食物を育て、収穫し、みんなで料理して食べる。
 週休2日制になったせいで、先生達にも子ども達にも学校生活での余裕が
なくなったと感じます。
 
1年間で教えるべきことを先生方は教えないといけないし、
子どもたちはそれを吸収していかなければならない。
そして、親達も、標準学力内に我が子がいるように塾などに通わせているのが現状です。
 もっと学校を楽しんで欲しい。勉強も大切だけど、生きていく上で大切なことは
勉強ではなく身をもって体験していって欲しいと思います。
 
そして私は息子にたくさんの経験をして、
自分で生きていく力を身につけていって欲しいと思います。


 私が落ち込んでいる時、具合が悪くて寝ている時、息子は私に
『いい子いい子』をしてくれます。
たぶん自分がしてもらって一番落ち着く方法なので私にもやってくれるのだと思います。
息子の小さな手で頭を撫でてもらいながら、
『うん。嬉しいものなんだな』と思います。
その動作には
『安心感』『自分に向けられた愛情』『認められている』気持ちが
感じられます。

 きっとこれからも息子は私に
『いい子いい子して』と言い続けると思います。
そして私は
『そんなに撫でたら、いつか頭が禿げちゃうよ』と笑いながら撫で続けて
いくことと思います。



 

2005年の終わり
  
2006年に向けて

 

 クリスマスも終わり、2005年も残すところあと少しです。
今年も息子はたくさんの問題を投げかけ、たくさんの感動を私に与えてくれました。

 
 今年の大きな成長は
『上履きを履く』という習慣化でしょうか。
これは数ヶ月前からやっと習慣化した事ですが、私がそれに気づいて息子を褒めると
『ママ、いつの話をしているの。とっくに履いているよ』と笑顔で答えた息子。
 そして先日汚れて擦り切れた上履きを買い替えに行った時に
『わ〜新しくて綺麗だ〜』
と、喜んだ息子。今まで何故履かなかったのかはついに息子の口からはその理由が
聞けませんでしたが、(上履きが小さいからだと言った時があるので、
大きなサイズに買い換えた事もありましたが、やはり履きませんでした)
何はともあれ、一つの
『習慣』が確立出来ました。

 そして家での
『勉強の習慣』も何とかついて着ました。
今まで勉強をさせるとひっくり返ったり、バタバタと暴れていたのですが、
文句を言いながらもやるべき事をやらなければいけないとの思いが芽生えたようです。
文句の言い方も
『あ〜疲れた、疲れた〜』から『あ〜イライラする』と言う言い方に
変化していきました。それでも何とか机に向かって勉強する息子。
 前までは
『解らない〜出来ない〜』と言う事も多かったのですが、今では自分が
解る問題は
『ママ、ちょっと待って、考えてみる』と、自分で取り組む姿勢や、
『ママ…それ間違っていると思う』などと、
私の回答を注意深く観察するようにもなってきました。

 友達との関係に悩んだり、友達を通じて謝ること、お礼を言う事なども見に着きました。
そして何より遊んだ後は一緒に後片付けをする
『習慣』も身に着きました。
 お友達の中にはうちに来た時にはちゃんと靴下を脱いで上がるという事を
してくれるお友達もいます。(息子が汚れた靴下でベッドに乗ると怒るので)
 そしてお友達が他の子が息子のベッドに上がる時に『お前、靴下汚れているから
脱ぎな』とか『お前は汚れていないからいいか』などと息子の代わりにチェックして
くれる子もいます。
 これはある意味、息子の
『こだわり』を受け入れてくれた事でもあります。
 そして息子も友達が来ている時にはその時間を大切に過ごす事を重点に置き、
小さないさかいや、こだわりも時には我慢して
『もういいから、それより遊ぼう』
お友達を促す姿も多く見られました。そして自分の部屋の時計の進みが早いと
お友達が早く帰っちゃうから、ちゃんと合わせてと、何度も言われました。

 今年は出生率が更に下がり
『超小子化国』となった日本。
明治時代から行われていた人口統計も今年初めて
減少(−10000人)となり、
人口の減少が予想より
1年早く始まったと聞きます。
 共稼ぎのご夫婦で、お子様のいない女性にアンケートをとっていると、
『子どもを産むと、今の仕事が続けられなくなるかもしれない』という不安を抱えて、
子どもを産むことを躊躇している姿勢が見受けられました。

 
相変わらず年末になると、直す必要もない道路を掘り起こし、
交通渋滞を引き起こしている場面に出くわします。

 その予算を、使い切れなかった予算を、
何故教育予算や、福祉予算に充当して下さらないのでしょうか。
 
震災で未だに仮設住宅で暮らしている方々や、年末になって
構造欠陥のマンションから出て行かざるおえなくなった方たちの救済など、
もっと活かした利用方法はたくさんあると思うのです。


 保育園の不足、保育士の不足による時間外保育が出来ない現状。
 道路は整備されてもベビーカーで通るには細すぎる歩道。段差。
 学校に入学しても、学業の遅れを取り戻すべきTT制度や、
個別指導が先生の慢性不足により出来ない現状。
 
年々発達障害児が増えていると文部省も認めているのに各学校にそういった
発達障害児のクラスが予算の都合や、先生の不足によりで作れない現状。

 イジメの現状を把握できない学校で、確実に不登校児が増えている現状。
それに真剣に取り組まない学校と学校長。

 
こんな現状を目の当たりにして果たして子どもを産もうと
考えられるものでしょうか?

 正直今、子どもを産んでも将来的に幸せになれる見込みは
ないのではないでしょうか。
 増え続けていく高齢者の年金支給の為に税金はどんどん高くなり、
その年金を受け取れる年齢はどんどん引き上がり、
その金額も納めた金額より少なくなるという現状。

 
無駄な道路工事より、やるべき事は将来を背負っていく子どもの教育にあると、
どうしても私は思ってしまうのです。

 道路工事の渋滞をイライラと待って言語科や通級に通っている私たち。
何故もっと教育予算を増やせないのか。
 
何故発達障害児が増えている現状に統計ばかりとって真剣に取り組まないのか、
憤りを覚えます。


 そして家庭教育。
今年は未成年者による事件、事故が次々と起こり、家庭教育、
学校教育にも不安を抱いた年でもありました。
 
『ゆとり教育』の名目で、完全週休2日制になった学校。
その休みになった土曜日にせっせと塾に通わせる親と、仕事があるから子どもに
ゲームを与える親(うちは残念ながら後者です)これでは学校教育における
学力の差も当然出てきます。
 そして低学年のうちから5時間授業などになり、まだ学校に慣れていない
子ども達にストレスを与えているのではないでしょうか?
 授業時間が長くなると、その分放課後に友達と遊ぶ時間も減ってきます。
たしかに学生の本分は『勉強』かもしれませんが、
友達から学ぶ事もとても大切な事だと私は思います。
 息子もお友達を通してルールや気遣い、礼儀など、たくさんの事を学びました。
 
また、PCやゲームの普及などにより、対人間に対し思いやりの心が
希薄になってきている現状。

 
少しの友達とのいさかいで殺人事件にまで発展してしまう現状。
大人なのに大人の人とコミュニケーションがとれず、
その矛先が児童に向けて牙を剥く悪質非道な事件。
 親子関係がとれず、親を殺してしまう子ども達。

 この先一体どうなってしまうのでしょうか。。。

 
そんな不安を抱いた1年でもありました。

 
そして2006年は一体どういう年になるのでしょうか。

 息子の成長は遅いですが、着実にその効果が見てとれます。
時には叱りつけながらも私も息子の成長に一喜一憂しながら前に進んでいます。
 今年、息子は自分が他の子とは
『違う』自分を認識し、
その中で
『何故』という思いを感じながら、その思いを私にぶつけてきました。
 そして今はその他の子との違いに
『諦め』しか持っていません。
来年はその違いを受け入れ、それでも
『頑張る事』『頑張れば出来る事』
認識して一緒に更に進んで行けたらと、切望しています。
 
そしてそれと同時に全ての発達障害で苦しむご家族がその子の障害に合った
教育を受けられるような環境になって欲しいと心から思います。


 とりあえずは来年の年末に意味も無い無駄な税金消費の道路工事が
なくなる事を祈っています。

 
そして子ども達の明るい表情、笑い声、安心して過ごせる学校、街中、家庭。
そして何より子どもを育てる事に喜びを感じ、一緒に進んで行ける楽しさを
実感できる年になるといいと思います。


 
今年もたくさんお世話になりました。
皆様が幸せな気持ちで2006年の扉を開けるように心を込めて、
ありがとうございました。
 また来年も宜しくお願い致します。
o(*^∇^*)o