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息子の事について



〜発達障害を持つお子様を育てられているご両親とその子供を取り巻く全ての方へ・・・〜



 一口に発達障害と言っても、昔は聞き慣れなかった病名が最近はよく耳にする機会があります。
例えば自閉症など、昔は正しく認識されていなかった障害がテレビドラマになったり、
ドキュメント番組で取り上げられるようになって、世間の認識も正しい方向に向かいつつあります

 しかし、発達障害とはそれよりもかなり複雑で、多岐に渡り、その症状も同じ病名でありながら、
一人一人症状が違ったり、または複数の発達障害を併せ持っている場合も少なくありません。
 そして、実際にそれらの障害を持っているお子様を育てているご家族は、
想像以上の苦しみがあります。


 
このHPはそれらの障害を持つお子様を育てているご家族の方はもちろん、
ご本人様、またはその障害を取り巻く学校の先生方、療育機関の方など、
多くの方に見ていただきたいと思い、開設致しました。


 
特にご家族、とりわけお母様方の心痛、心労を少しでも軽く出来るHPになれたら幸いです。
歩みは遅くても必ず子供は成長して行きます。 
時にはゆっくりお茶など飲みながらここを訪れて下さい。


 私は30代の母親です。
上の子供は女の子で今年中学3年生になります。
そしてもう一人、今年小学4年生になる男の子の2児の母です。

数年前に離婚し、今は実家で実母との4人で暮らしています。
 高校を普通に卒業し、普通の会社に入社し、
そして20代前半で普通の人と普通の結婚をしました。
2年後に長女が誕生し、その5年後に長男が誕生し、
その1年後に離婚して子供を二人とも引き取りました。

離婚というちょっと非凡な出来事を除けば、本当に普通の生活でした。
長女は大人しく、学校では目立つ存在ではありませんでしたが、成績は常に優秀で、
先生の手を煩わすことは一度もなく、面談の時もいつも先生から褒め言葉を頂いていました。
 少し大人しすぎる事が私には不安でしたが、イジメに会う事もなく、友達もたくさんいました。


 私は離婚後すぐに家の近くに就職先を見つけ、下の子供を私立保育園に入園させました。
実母は高齢の為、日中1歳児の面倒を見るのは不可能だったからです。
 下の子供は入園当初は泣いてばかりでしたが、徐々に慣れてくると『やんちゃな子供』と、
保母さんの手を煩わせました。
『今日は滑り台をおもちゃの自動車で下から上に登ろうとしたんですよ』
などと、苦笑しながら保母さんは話してくれました。
また『この保育園始まって以来のやんちゃ』とも言われたこともありましたが、
男の子を育てた経験のない私はそんなものかな、とさして気にも留めませんでした。

 そして1年後、市立の保育園に転入することができました。
しかし息子は保育園の運動会や、集団行動、保母さんの指示に従うことが苦手でした。
迎えに行くといつも一人でおもちゃで遊んでいたり、ぬり絵などをしていました。
そして、不思議なことに息子の側には必ず保母さんがいつもついていたのです。
 数十人いる園児で、保母さんはほんの数人しかいません。
それなのに、息子の側にはいつも誰かしら保母さんがついていました。

 ある日、不思議に思い、
『どうして息子の側にはいつも保母さんがついているのですか?』
と聞いたことがあります。
そうしたら『Y君はいい子なんですが、時々おもちゃをとられたりするとお友達をぶったりして
しまうことがあるんです。』
と言う思いがけない返答が帰ってきました。
『人をぶつ?』私はその言葉が信じられませんでした。
家での息子はごくごく普通の子供で、公園に行くにも私と一緒でないと行かないし、
買い物に行っても、ファミレスで食事をしても手を煩わせる子供ではなかったのです。
そして、私や祖母をぶつことなんて一度もなかったのです。


 でもある日、お迎えに行って息子に靴を履かせていると、
少し離れた場所で同じように帰ろうとしていた女の子が
その母親に向かって、『あの子って乱暴なんだよ』と、こちらを指差して言っていました。
一瞬、私の他にも子供がいるのかなと、
辺りを見回しましたが私と息子以外に人影はありませんでした。
その子は明らかに息子のことを言っていたんです。
『乱暴なんだよ』と言う言葉がずっと頭から離れませんでした。
息子は相変わらず無邪気に私と手を繋いで園庭を歩いています。
『きっと誰か他の子と間違えたんだ』と、私はその言葉を忘れようとしました


 しかし、1年が経つころ、お迎えの時によく他の子とトラブルを起している息子の姿を
見るようになりました。
また、保母さんに『今日は女の子と喧嘩して、相手の子に鉛筆を刺してしまいました。
Yくんも刺されました』
とか、
『他の子のおもちゃを無理やり取ろうとして、喧嘩になりました』などと言うことを聞くことが
多くなり、園長先生に相談をしたこともあります。
園長先生の返答は『大丈夫ですよ。よく言い聞かせればわかる子ですから。』と言う
言葉でした。
 また、息子は言葉の発達も遅く、
言葉自体に興味がないようで、
『みかん』『りんご』を言い違えても、
こちらがいくら
『それはりんごだよ』と注意しても、気に留める様子はなく、
また
『みかん』と言い間違えることも多々ありました。
息子にとって
『言葉』とは単なる手段であって、それが何の意味を持つのか、
何の必要があるのか、
そんなことはどうでもいいように見えました。
『みかん』でもあっても『りんご』であっても、それが自分の手元に来れば、
その言葉はもう息子にとって、必要のないような感じがしました。
また、オムツがとれるのも遅く、着替えも一人では中々できなく、
随分保母さんの手を煩わせていたようです。

 私達が普段普通に生活していて、当たり前のように使う
『言葉』
普通の子供ならわざわざ教えなくても自然と覚えていく言葉が、
息子には浸透していかなかったのです。
 保母さんが笑いながら言いました。『Y君ってシャツがどれだかわからないんですよ』と。
 保育園から職場に電話がかかってきたこともあります。
『Y君がプールの蛇口に頭をぶつけて切ってしまって、病院に行っています。
すぐに保険証を持って行って下さい。』
と。幸い怪我は浅く、2針縫いました。
 保育園の運動会では『終わりの言葉』を聞いているときに、ふざけて私にじゃれついてきて、
足を滑らせ、園庭の階段に後頭部を打ちつけ出血。そのまま病院で3針縫う怪我をしました。
 それでなくても、男の子は体が弱く、色々な病気で発熱し、
その度に職場にお迎えに来るように電話がかかって来ます。
幸い私の勤めていた職場は理解があって、そういった事態でも早退をさせて頂けましたが、
他の母子家庭のお母さん方はどうしているんだろうと思いました。
多いときには月の大半を病気で休まざるおえません。
 私は慰謝料、養育費というものは一切援助を受けていませんでしたから、自分が働かないと、
子供を育てては行けません。有給にも限りがあるし、自分が病気をしても休むこともできません。
 
そんなギリギリの精神状態で毎日を過ごしていました。
でも、もうすぐ小学生になる。 そうしたら送迎もしなくていいし、体も強くなるだろう。
あと少しの我慢。もうすぐきっと楽になれる。 そう思っていました。

  
 ある日、同じ保育園の、やはりちょっとやんちゃなお母さんが
『うちの子供ADHDかもしれないわ』と話しかけて来ました。 
私は恥ずかしながらその時まで
『ADHD』と言う言葉を知りませんでした。
『なんだろう?』私はそう思いながら保母さんに相談しました。
そして、そういった発達障害があることをその時始めて知りました。
 その頃の息子はますます活発で、家の中でも、仏壇にお線香をつけようとして、
仏壇を燃やしてしまったり、姉と喧嘩して、ガラス戸を蹴って壊したり、石を投げてガラスを割ったり、窓の桟にボンド2本を流し込んで開かなくしてしまったり、
気に入らないことがあれば、
大声を出す、物に当り散らす、などが頻繁に起こってきました。


 私は保母さんに相談し、近隣の
『●●療育センター』を紹介してもらいました。
これまでのいきさつ、観察、問診等が終わり、先生からの説明でやはりADHDの可能性が
高いと言われました。そして、通園することが決まりました。


 そして卒園写真を撮影する前日の夕方、私が仕事から帰宅すると
(その日は息子は風邪でお休みして家にいました)丁度ガラスの壊れる音が響きました。
慌てて家に入ると、庭に面したガラスが見事に割れていて、
その前で足を押さえて息子が泣いていました。 
原因は姉との喧嘩だったそうですが、傷口は広く、深く、次々と血が溢れています。
私では対処できないと判断し、救急車を呼びました。
息子は泣き喚き、私は処置室から、追い出され、
待合室で息子の泣き声を祈るような気持ちで聞いていました。
 息子の怪我は10針を縫う大怪我、更に怪我の部位が足首だったことから、
傷口が開かないように骨折の時のようなギプスで固定をされました。

 翌日の卒園の写真は保母さんの『折角の記念だから』と言う言葉に促され、
おぶって保育園まで行き、見事に最前列でギプス姿の卒園写真を撮りました。
 その日から1ヶ月、私の仕事が終わってから、足首を動かさないように毎日おぶっては通院、
消毒の日々が続きました。

 抜糸の日、怖がって暴れる息子に看護婦さんが言いました。
『この子、今年から小学生でしょ?これじゃあ担任の先生が大変だね』
その一言が深く私を傷つけました。
確かに息子は泣いたし、暴れたし、看護婦さん二人がかりで押さえての抜糸で、
しかもあまりにも暴れるから5針分の抜糸しかできませんでした。 
残りはまた明日ということになりました。
でも、息子にとっては初めての経験だったのです。
何をされるのかどうなっているのか、彼はパニックに陥っていました。

次の日、病院に行く前に私は息子に抜糸の必要性を説明しました。
そして、その日は息子は動かず、泣かず、ずっと天井を見つめながら抜糸に耐えました。
『ママ、少し痛いけど、泣かないよ。あいててて・・・・』と喋り続けながら。
そして、先生に『偉かったね』と褒められました。


 その時に私はわかりました。彼にとって、わからないことは
『恐怖』に結びつくんだと。
事前の説明が彼にとってどんなに大事なことなんだと。。。


 保育園でのトラブル、毎日の送迎、頻繁な発熱、怪我、病院への付き添い・・・
何とか5年間の保育園生活を終え、息子は小学校に上がることになりました。
 しかし、
『集団生活』という事が、息子にどんな影響をもたらすか、
また、どんな事態に発展していくか、周囲にどんな影響を与えるか、
学校の対応はどうなるのか。。。
その時の私には想像も出来ないことが待ち構えていました。