父   親
   〜平成17年8月〜

 

 息子は父親の顔を知りません。
それもそのはずで、私が離婚をしたのは、娘が小1の時、息子はまだ1歳になったばかりでした。
 娘はパパっ子だったので、そのショックは大きかったと思いますが、当初離婚をする時に娘には
『パパはお仕事で遠くに行ってしばらく帰って来れないから、その間はママの苗字に
変わるんだよ』
と言う説明をしたと思います。 当然娘もそれを信じていました。
 そして、4月に小学校に入学したばかりで5月には苗字が変わる事に、
まだ
幼い同級生たちは何の疑問も持たず、すんなり受け入れてくれました。

 父親は娘の事を溺愛していて、休みの日には二人で出かけることも多く、
近所のコンビニやスーパーなどにたまに私が一緒に行くと
『あ、お母さんがいらっしゃったんですね』と驚かれたこともありました。
 そして父方の義父母にとっては念願の初孫です。
事あるごとに私達を呼びつけ(私の実家で暮らしていたので)色々な所へ連れて行ってくれました。
 お宮参り、初節句などは本当に嬉しそうな顔で今でも写真に残っています。
そして小さい頃から色々な教材で言葉や文字を教え、お陰で娘は幼稚園に入る頃には
ひらがな、カタカナ、ローマ字まで読み書きできるようになっていました。


 離婚の理由は色々あると思いますし、どちらかだけが悪いとは思いませんが、
私の離婚理由は旦那の仕事が続かず、経済的に困窮していたと言うのが主な理由です。
結婚10年で離婚しましたが、その間に
20回以上転職しました。
それでも生活が出来ていたのは、私の実家に入っていたので、食べることには
困らなかったからです。

 しかし金銭的援助を受けていた訳ではないので、
仕事をやめる度に次の仕事を探すまでのお金は必要になります。
 1年近く続いた仕事もありましたが、初出勤の時に公園で犬を拾って持って帰って来て
そのまま仕事に行かなかったこともあります。
(結局その犬とは旦那との結婚生活より長く一緒に過ごすことになりました。)
 
『お金がないの』と私が言うと、娘の学資保険を解約し、それを平気で使っていました。
いよいよ本当にお金がなくなると、私に内緒で
銀行でお金を借りた事もあります。
私のお財布から
お金を抜いてしまうこともあれば、私の親のお財布からも抜いてしまったり、
実家に忍び込んでお金を持って来てしまうことも
ありました。(後で義母に聞いた事です)

 私の両親は共に公務員だったので、促されて二人で公務員試験を受けたのですが、
私だけが受かってしまい、その間は私が働いて、旦那は主夫でした。(娘の産まれる前です)
と言っても、
掃除も料理もせず、一日中ゲームをしていましたが…
 そして、旦那が仕事を決め、私は公務員を退職しました。
基本的に私が外に行くのを極端に嫌がっていた人なので、私はまた専業主婦に戻りました。

 しかし息子を妊娠したとき、今度は職場の上司と気が合わないから
会社を辞めたい
言ってきました。
でも出産費用の蓄えもない状態で今会社を辞められたら子どもを産めないと懇願したのですが、
旦那は仕事に行かなくなりました。
 旦那が仕事を辞める時はいつも突然で、業務引継ぎ、会社に挨拶などは一切せず、
いきなり行かなくなるので私がその度に謝っていました。

なので、
失業保険をもらったことも、ボーナスをもらったこともなく、家計はいつも赤字でした。
 結局、出産を待たずに仕事を辞めてしまった時に、
『ああ、この人にはもう何かを期待してもダメなんだな』と私は悟りました。
 いつも就職が決まって喜ぶ気持ちと、
『今度は何日続くんだろう』という不安の気持ちの
繰り返しでした。
『いつか絶対離婚してやる』
それがその時心に誓った思いでした。

 それからまた就職をしたのですが、手取り25万のうち、15万円を交際費だと
持って行ってしまいます。
残金10万円では貯金はおろか、生活もできません。しかし、もっと生活費を入れてと言うと、
『じゃあ 会社に行かない』と言う返事。。。
仕方なく残りのお金で娘と息子の学資保険を積み立て、食事は親のお金でまかなって
暮らしていました。


 
そして、娘が小学校に入学。
まさにその時私の人生の転機が訪れました。

 また仕事を辞めたいと言い出したのです。
だけど、今回私は
女性が絡んでいるのでいるのではないかと直感しました。
帰宅時間があまりにも遅すぎるのです。そしてお金の使い方も多すぎるのです。
 その時初めて私は旦那のかばんの中身を無断で見ました。
結婚10年で初めてしたことです。
確証と証拠が欲しかったのです。
そして離婚に備えるエネルギーが欲しかったのです。
 私の直感は確たるものに変わり、全ての証拠をつき付け、旦那の実家にも相談に行きました。
しかし、『子どもの事を考えてほしい』と言う義父の言葉で一旦は思いとどまり、
旦那に一発張り手を入れて(結婚以来初めてです)、今回だけは許すと言う事にしました。
 だけど、旦那にはやはりどこかに甘えがあったのだと思います。
そして、子どもがいるからそうそう私が離婚はしないだろうという驕りもあったと思います。
女性との関係は続きました。 生活も変わりませんでした。
 私は旦那に離婚用紙に署名、捺印させ、朝帰りしたその日に家から蹴り出しました。


 
後は親権の問題が残ります。
当然私は子ども二人を引き取るつもりでしたが、現在職もなく、保育園も決まっていない
状態ではもしかすると娘の親権を義父が要求する恐れが多々ありました。
 旦那は自分から離婚したとは実家には言えないだろうから、
親権を二人とも私にする訴えを家裁に起こしました。
その為には旦那の籍を抜き、現住所が私の実家なのでどこかに移さなければなりません。 
仕方がないので旦那と不動産屋へ行って、旦那が住むところを探し、お金を出しました。
保証人には旦那の弟になってもらいました。
 
親権を二人とも私に移し、仕事を決め、保育園も決め、全てを終えてから
旦那の実家に一人で行きました。
(旦那は逃げてしまいました)
義父には責められました。『子どもの将来をどうするんだ』と。
しかし義母には『今まで本当に我慢してくれたから仕方がないわよね』と言われました。

 
そうして新しい生活がスタートしました。
自分さえ頑張れば生活を維持していける。それは本当に私にとっては嬉しいことでした。
毎日の保育園の送迎、発熱の度のお迎え、通院、毎日が本当に忙しかったですが、
充実していました。 
そして何より安心して暮らしていました。

 離婚は暗く、寂しいイメージですが、私は明るい母子家庭にしたいと思いました。
父親はいない。でも、娘と息子が
『楽しい』と思える環境にしたいと思いました。
娘の授業参観には必ず出席しました。
時には3人で外食もしました。
遊園地にも行きました。

 
『離婚』と言う言葉は使いたくなかったので、娘には『実はパパはUFOに連れ去られて
しまったんだよ』

言いました。息子には
『落っことしちゃったんだよ。そのうち探すね』と、努めて明るく
言いました。
 それでも娘が小学校中学年の時、某テレビアニメで
『離婚』と言う言葉と意味を知ってしまい、
『本当はパパとママは離婚したんでしょ』と聞かれたことがあります。
その言葉を知ってしまえばもう嘘や誤魔化しはしたくなかったので、
『そうだよ』と言いました。
 そして選択権を与えました。 
『もしもパパと暮らしたいなら連絡をとってあげるし、
パパと暮らしてみてやっぱり帰って来たくなったらいつでもママは待っているよ』
と。
そして
『離婚理由を知りたいならいつでも本当のことを教えるけどあなたが傷つくかも
しれないよ』
と。
 娘の答えは
『もうママとの暮らしに慣れちゃったから、今のままでいいよ。
理由はもっと大人になってから聞くね』
とのことでした。

 慰謝料、養育費は一切受け取っていません。
そんな甲斐性があれば離婚には至らなかったし、義父母にも負担をかけたくはなかったし、
親権を二人とも私にできた事が私にとっては何よりでしたから。
 娘とは会いたければ会ってもいいとは言いましたが、養育費代わりの娘と息子の学資保険の
積み立ても1回だけしかせず、離婚問題の時には既に相手の女性が妊娠していた事がわかり、
出産もした事がわかり、旦那の実家と旦那とはキッパリ縁を切りました。
 ただ、旦那の弟のお嫁さんとは仲が良く、今でも交流があるので、色々な情報は入ってきます。

 娘は今、中3になり、たまに旦那との話をしますが、心の整理はついたようです。
『ママとパパはいつも喧嘩していて、ママは泣いていたよね』とも言われました。
 ところが息子には何の思い出も残っておらず、つい最近までは
『ボクはじいちゃんから
産まれて、お姉ちゃんはばあちゃんから産まれたんでしょ』
と言っていました。
『だってママは一人だから子どもが産めるはずはないでしょ』と言うのが息子の考えだった
ようです。
 それでも4年生にもなるとさすがに
『ボクのパパは誰?』と聞いてくるようになりました。
『パパに会いたいよ』とも言います。

 今年の春休みに、大阪に居る姉一家のところに行った時に、
姉の旦那と息子(Y)が一緒にお風呂に入っていた時に、
『パパ〜』って何回か呼んでいたよ、と姉から聞かされました。

やっぱり男親と女親では遊び方も違うし、体力も違うし、
何より息子は父親と遊んだ記憶がないので父親に憧れる気持ちは痛いほどわかります。

 正直これまでに何回か再婚の話もあったのですが、最終的には再婚には至らずに
終わっています。
思春期の娘。発達障害の息子。この二人の良き父親になれるかどうかを
見極めるのは私の責任です。

結婚したことは後悔していません。
そのお陰で私にはこんなにかわいい子どもを二人も授かったのですから。


 
しかし、再婚となると私の一存で子どもたちの生活を変えてしまう事になります。
それは全て私の責任だと思っているので、再婚についてはどうしても消極的になってしまいます。
 今では縁とタイミングなんて、時期がくれば神様が判断するだろうと思っています。
今はまだ私が子どもたちを育てるのがベストなんだと神様がきっと考えている。
そう思っています。


 私には実家があり、両親も健在です。
助けてくれる友人もいますし、息子を受け止めてくれる先生方もいます。
娘にもたくさんの友人がいます。

 
そして何より私は今、幸せです。
私がその気持ちでいる限り
『幸せ』は子どもたちにも伝わると信じています。
そして私の幸せの元は、
やはり子どもたちの笑顔です。



 

 姉  と  弟
  〜平成17年8月〜

 

 息子には5歳年上の姉がいます。
今は中学3年生。受験生です。


 5歳年が離れていれば、そうそう喧嘩もしないだろうし、もしかすると弟の面倒を
見てくれるかもしれない。などと甘い期待をしていましたが、現状は全く逆なものでした。

 
5歳年が離れているが故、私は何でも息子を優先させてきました。
娘は小学1年生から1人でお風呂に入らなければなりませんでした。
4年生からは夕食の後の食器洗い。 
娘なりに我慢してきたことは多いと思います。
特に娘が1年生の頃に離婚して、私は勤めに出て、娘が一人で家に居る事も多くなりました。

 そして、まだ物事の良し悪しが認識できない息子は
娘の物を壊したり隠したりで、姉弟仲は結構険悪でした。

 娘は学校では大人しい存在で何の心配もいりませんでした。
成績も上位といったところでしょうか。
個人面談でも『大人しいし、やることはちゃんとやっていますので何の心配もいりません』
よく言われました。

 娘が小学6年生のときに、息子が同じ小学校に入学しました。
息子のことで、
同級生にからかわれたりしないかと心配もしましたがそれは杞憂で終わりました。
 また、姉弟ということで、息子を知っている先生は娘のことを知りたがっているようにも
思えました。
『今日学校でY君のお姉さんだよって校長先生に紹介されたよ』
娘が笑いながら言った事があります。


 そうです。娘は
『Yの姉』ということで、結構先生方に知られる事になりました。
そして、娘を通じて息子の情報も私の耳に入って来ました。
『今日、朝会を体育館でやったんだけど、ステージの上を走り回っている
子どもがいると思ったらYだったよ』
等など。。。
 息子のことで、娘が恥ずかしい思いをしないかと心配しましたが、
全然気にする様子はなく、飄々と娘は自分の生活を送っていたようです。


 しかし、息子が1,2年生の頃は家では殆ど毎日喧嘩をしていました。
息子が勝手に物を使った、隠した、壊した等など・・・
 その度に息子の
『障害』の話をするのですが、
見た目は普通に映る息子のことを娘は中々理解が出来なかったようです。

 息子の病院に一緒に連れて行ったこともあります。
『ここで、こういう訓練と指導を受けているんだよ』といくら説明しても、
娘にとっては現実の自分が被る被害の方が重大であり、それが全てでした。
 そして、息子のことで悩み、時には泣いている私の姿を見ていた娘は
息子のことがたぶん嫌いだったと思います。
 私ももちろん、
娘の前ではなるべく泣かないようにしてきたのですが、
どうしても堪える事が出来ず、泣いてしまったことも何回かあります。


 親の泣いている姿、それは子どもにはどう映るのでしょうか?
私は親が泣いている姿を1回も見たことがありません。
私の母は長年看護婦をやっていた事もあってとても気丈な母です。
 ただ、姉の泣いている姿を見た時はすごく切なかったことを思い出します。

 
それが自分の親だったら?
本当に娘には辛い思いをさせてしまったと思います。


 それでも、息子の成長と共に、娘も息子の言動に慣れていき、
『結構マシになってきたじゃん』などと笑って言うこともあります。
 娘の機嫌がいい時には一緒にゲームをやったり、息子の宿題を見たり、
一緒の布団で本を読んでいたりします。
 
こういう光景を見るのはとても嬉しいことです。
それと共に、ここまで来るまでの長かった道のりを思い出します。


 どんなに辛くても、必ず時は経つし、人は成長するんだな、と改めて思います。
ただ、その渦中にいる時にはそんなことを考える余裕も見通しもありません。
常に現状の中でもがいて苦しんで、助けを求める。 

 
そんな繰り返しでした。

 1年生の頃に息子の友達が遊びに来ていた時の会話なのですが、
友達が『お前って姉ちゃんいるんだ。ブサイク?』と聞いていたのですが、
息子は
『ブサイクじゃないけど、悪魔のように怖いと答えていたのを
扉一枚隔てて私は聞いていておかしくなってしまいました。
 息子にとっては悪魔のように怖い娘なのですが、
それでもやっぱり
息子は娘のことが大好きなようです。

 例えば息子と言語科、通級などに通う途中にジュースなどを買うと、
『お姉ちゃんの分も買うんだよ』と、必ず言います。
買い物に行っても
『これってお姉ちゃんが好きそうだよね』などと言います。
 そして
『お姉ちゃん、この本読む?』『一緒にゲームする?』などと常に
姉の後を追っています。

 しかし姉弟喧嘩の仲裁にはとても気を使います。
どのタイミングで、止めに入るか、それとも徹底的にやらせるか、等など・・・


 
私には1歳年上の姉がいます。
同姓でもあり、歳も近く、欲しがるものなども似通っていて、
仲良く遊ぶこともあれば、姉妹喧嘩は、娘と息子の比じゃないほど激しかったです。
 娘が息子に手を上げたことは数回しかありませんが、
私の場合は数えきれないくらい叩かれた記憶があります。
その度に母に
『優しいお兄ちゃんが欲しい』と訴えていました。

 
それでも最終的に頼るのは姉でした。
初めて生理になった時、初めてブラジャーを着ける時、最初に相談したのは姉でした。
 姉は今、結婚して大阪に住んでいますが、普段は滅多に電話をしてこないのですが、
私が弱っている時などには必ずといっていいほどの確率で電話が来ます。
『どう?元気でやってるの?』と。
 仕事で悩んでいる時、体調を崩して肺炎になった時、母が胆石で入院して子どもの事、
母のお見舞いなどで、疲れきっている時などは、わざわざ夜行バスで大阪から家まで
助けて来てくれました。
 
本当にありがたい存在です。

 
娘と息子もお互い思いやれる。そんな姉弟になって欲しいと思います。
異性なので、年頃になればあまり話さなくなってしまうかもしれませんが、
それでもいざという時には力を併せて助け合って欲しいと思います。

 娘が小学校6年生の時に私に手紙をくれました。それは次のような短い手紙でした。


原文のまま

 『ままへ★
  いつもお仕事ごくろうさま!!
  (くそ)Yのせいで・・・!!(泣)
  (Yが)2年生になったら少しはらくになる
  と思うからがんばってね♪
                     YUより☆』