平 成 15 年

   

 

1月7日火曜日
■■療育園/言語科学習

1月8日水曜日
3学期始業式
久しぶりの登校で、やはり落ち着きがなかった旨記載あり。
特殊クラスの様子について、8〜9人の児童でも落ち着きがないとのこと。
3学期も引き続き校長、副校長、特殊クラス等で学習を見ていく旨記載あり。

1月14日火曜日
■■療育園/言語科学習
発熱したと学校より連絡があり、迎えに行く。(37.3℃)
本人に言語科に行けるか聞くと、
『勉強する』と言うので連れて行くが、
30分位しか集中できなかった。


1月15日水曜日
授業参観
教室に行くと、息子の姿はなく、周りの子供達も先生方もわからないとのことだったので、
探し回る。
教室隣りの生活準備室で一人で遊んでいた。
一緒に参加するように言うが、
『行きたくない』の一点張りで動かなかった。
何とか教室に連れて行くと、友達の遊びに興味を持って見ていると言うのでその間に上の子の
授業参観に行く。
戻って来ると1組の先生と駒遊びに参加していた。

1月16日木曜日
席替えをしたが、相変わらず落ち着きが無い旨記載あり。
他の子供との勉強の差もかなり開いているので
何らかの方法を考える旨記載あり。

1月17日金曜日
◆◆◆医療センター受診
前回同様、息子は室内のおもちゃで遊び、先生とその間生育歴、学校での様子等を話す。
(1時間30分位)

1月22日水曜日
 上の子が熱を出したと学校から連絡があり引き取りに行く。
その際息子の担任より、
S君が息子のせいで登校拒否を起こしているとのことを聞かされる。
更に先方はすごく怒っているとのことで、
電話で謝るように言われる。
校長室に行って下さいとのことで、娘を待たせて校長室へ行く。
 先方は金曜日に校長に会いに来るとのこと。
そのまま帰り、養総へ電話したが、担当者終日出張とのことで教育相談へ電話。
簡単な経緯を説明。校内で起こったことの対処について相談。
謝るにしても今後の具体的な改善の提示もなしに謝らなければならないことへの辛さ等を説明。
担当者からは養総に相談することを勧められる。
 夕方S君の家へ電話、お母さんと話す。学校の対応に不満を持っているとのこと。
その時に初めて
2学期にすでに息子に補助教員をとの要請をしていたことを知る。
 また、他の父母からも同様の不安があることも聞く。
ご主人が帰ったら、息子を連れて謝りに行きたい旨告げるが、
それについてはご主人と相談して後日回答をくれるとのこと。


1月23日木曜日
 朝、S君のお母さんより電話を頂く。夜に家族で話し合った結果、
本日息子に学校で謝ってもらえれば登校するとのことだったので、付き添って登校するとのこと。
ただし、
今後同じようなことがあった場合、もう学校へ行けないと、本人が話していると聞く。
息子を通常通り登校させた後、9時頃に私も学校へ伺う。
担任がちょうど保健室から声をかけたので、保健室に行くと、息子がいた。
朝からこんな調子だそうだ。
 朝、S君のお母さんから電話をもらった旨を話す。
その時に担任から特殊学級の編入について検討しますと言われるが、
すでに2学期にこちらから言って断られている事だった。(文部省の方針とのことで)

9時30分頃にお母さんとS君が登校。そのまま保健相談室で話す。
 息子が謝り、S君も蹴ったことについて、担任から謝るように言われ、謝る。
S君、息子を連れて担任は教室に。その間副校長、養護教諭の先生に対し、
S君のお母さんが不満を吐露。
 他のクラスの父母からも不安の声があるとの話しに私はショックを受ける。
問題はここまで大きくなっていたのにもかかわらず、
3学期に入ってからの連絡帳には一切トラブルについての記載はなかった。

 
家に帰り、養総の担当に電話。実情と自分の気持ちを話した。
養総の対応は学校に電話するとのことと、2月に入ったら学校に訪問しますとの答えだった。

1月24日金曜日
息子に学校を無断で休ませる。
考えても解決策は思い浮かばず、
また、解決策がないまま登校させてもまたトラブルを起こすことは目に見えている。

S君にまた何かしたら、大変な迷惑をかけてしまう。学校を辞めさせる覚悟で無断欠席させた。
ただし、S君のお母さんには迷惑がかかるといけないので、電話で事情を話す。
 9時過ぎに担任の先生より電話が入る。
「校内で起こったことは学校の責任ですので私が責任をもってみます」
また「今の方法は学校でできる最善の方法です」と言われた。

「どうしていいのかわからないのです」と私が言うと、
「ヤケを起こさないでください」と言われる。
話しが噛み合わない。気持ちも伝わらない。
 10時からPTAの用事で学校に出かける。担任の先生は
「絶対連れて来てください」と言ったが、
本人を説得する時間がなかったので、私だけが登校。そのままPTAの用事をする。
帰りがけ、校長と顔を合わせ、養護教諭の先生が校長室に寄るように言って来た。
校長室に行くと、お茶とお茶菓子が出される。

 S君とT君のお母さんと2時間話したそうだ。
更に、私の了解があれば、3月の懇談会で息子に対する学校の対応を父兄の前で
話したいとのことだった。私にも病気のことは伏せて話すように勧められる。
考えますと答え、家に帰った。

1月27日月曜日
 Sさん、Tさんより理解したとの手紙を頂いた旨記載あり。
また、懇談会で校長から話をすると記載あり。

また、掃除の時間にT君のじょうろをI君にぶつけて、
T君のじょうろの取っ手を壊してしまったとのこと。
T君のお母さんは先日校長に会いに来た人でもあることから早急に弁償するように記載あり、
また、電話も入れておいた方がいいと記載あり。
すぐに電話にてお詫びをし、
 弁償したい旨告げるが
「なんか大変そうだからいいです」とやんわりと断られる。
どうしたらいいのかわからなくなり、担任の先生の自宅に電話を入れてその旨相談する。
今回は好意に甘えましょうとのことで、弁償はしないことにする。
 また、学校行事の出し物で、S君、T君と同じ班に入れないようにお願いする。
本人にも話し、納得させた。
また学校での対応を重ねてお願いする。

1月28日火曜日
■■療育園/言語科学習
昨年養総の先生より電話があって
「そういうことは学校でしますから結構です」
言われたことがあったと担当の先生より聞く。 

担当の先生と養総の先生は面識があるらしい。
連絡帳では最近は職員室は勉強するところと分かったせいか行かなくなったと記載あり。
市長に嘆願文書をFAXする。(1回目)※市長への手紙

1月29日水曜日
◆◆◆医療センター受診
療育科にて引き続き、担当医と話す。センターでは落ち着いて一人遊びをしている。
また、担当医より「情緒障害児学級」が作れるといいですね、と言われ、
そのまま担任に連絡帳にて伝える。


1月30日木曜日
「情緒障害児学級」について賛同の記載あり。校長にも話しておく旨記載あり。

1月31日金曜日
机にマジックであちこち落書きしたので強く叱った旨記載あり。
その後も隣りの生活科ルームで黒い絵の具を床にふりまいたと記載あり。

2月2日日曜日
ひらがな、かたかなに興味を持たせるため、ゲームボーイを与える。
姉に聞きながら没頭していた。

2月3日月曜日
朝会にも出ず、学校行事の練習も違うグループで遊んでいたと記載あり。
また、残り勉強が嫌で、帰りの会にも出ずに逃げ帰ったと記載あり。
連絡帳で補助教員の要請を再度お願いする。
また、懇談会での公表は現時点ではかえって周りの父母を不安にするのではないかと
伝える。


2月4日火曜日
■■療育園/言語科学習
校長に伝えておく旨記載あり。
また養総の担当より連絡があり、12日に学校に来る旨記載あり。

2月5日水曜日
学校行事の練習に参加しないと記載あり。
他のグループの邪魔をしたり、生活科ルームで遊んでいたりとのこと。
 本人に何がしたいのか尋ねても「何もしたくない」との返答が返ってくるとのこと。
最悪の場合はどこにも参加しないようになるかもしれないと記載あり。
今日は屋上の入り口で算数ブロック等を並べて線路を作っていたことがわかったと記載あり。
他の先生も忙しくて見れないと記載あり。
明日、様子を見に行く旨、返事を書く。
 
また、忙しくて先生方が見れないのなら事故等が起こったときに学校に迷惑をかけるので
連れて帰る旨伝える。

また、補助教員、情緒障害児学級の件について校長より話が聞きたい旨伝える。

2月6日木曜日
PTA定例会の前に学校行事の練習を見学する。
本人には今日、行く事を伝えてあったせいか、ちゃんと鉄琴を演奏していた。
先生の話は聞いていないが、立ち歩きはしていなかったので、そのまま定例会に出席する。
連絡帳にて10日の9時に校長より話をする旨記載あり。
市長に嘆願文書をFAXする。(2回目)※市長への手紙

2月8日土曜日
学童訪問。
学校の動き等を話し、相談をする。
学童には昨年より行っていないが、引き続き在籍をお願いする。

2月10日月曜日
 
母と校長室に行く。学校での様子を伺い、重ねて補助教員、情緒障害障害児学級の設立を
お願いするが「国から教育予算がおりない」と言われる。教育委員会、文部省へ一緒に
行ってもらえるように頼むが、今・学校では出来る限りのことをしていると言われる。

初めて1週間の息子の学習予定表を見せてもらう。
 
2学期に他の父母から息子に補助教員をとの話が出ていたにもかかわらず何故私には
教えてもらえなかったのかとの問に対しては、
「その件については先方はもう納得している」と言われる。
懇談会での説明の件について懸念を伝えるが、黙っていても結局噂は広まるでしょうと言われる。
それでもまだ考えたいと伝える。補助教員要請については養総の担当が来た時に話し合うと言う。
ADHD関連の本を渡し、重ねて校長の協力をお願いする。
 
首相官邸に教育予算嘆願のメールを送る。

2月12日水曜日
養総の担当が学校を訪問する。
授業を見学し、とにかく「ほめる」ようにアドバイスをもらったと記載あり。
◆◆◆医療センター受診
精神科での脳波検査の結果、やはり異常を認めたと言われる。
てんかんの発作に近い波形が出ていると説明を受ける。

夜だけテグレトール100mgを処方してもらう。
また、相談機関として教育総合相談センターを教えてもらう

療育科では、「TK式診断的新親子関係検査」用紙の記入を依頼される。
また、「家庭態度・態勢つくり(初期…2)」の用紙をもらい、家で実践することになる。
テグレトール使用に当たり、血液検査もする。
市長に嘆願文書をFAXする。(3回目)※市長への手紙

2月13日木曜日
朝、養総の担当より電話が入る。学校での校長との話し合いの内容を聞く。
懇談会の件は、
名前を出さずに説明をすればいいのではと助言をしてくださった旨聞く。
通級に対して希望校を聞かれる。(○○小学校)
連絡帳には学校行事の練習に参加しなかった旨書いてあったので、
最後の練習の様子を教えてくれるように返事をする。
 様子によっては、他の子の発表の場を台無しにするので当日は遠慮する旨伝える。
首相官邸より返信メールあり。行政の対応ページ参照

2月14日金曜日
学校行事に参加するように記載あり。
担当の先生の話しだと、他の子供達も受け入れているとのこと。
 また、途中で出て行ってしまっても他の子供には迷惑にはならないとのこと。
また、今日は校長室に行きたがらず、1日を生活科ルームで過ごしたとのこと。
また、休み時間にO君の上着にマジックで落書きをしたと記載あり。
先方に電話を入れるよう記載があったので、夜に電話をしてお詫びをする。

2月15日土曜日
学校行事開催
しかし悩んだ末、やはり他の児童、父母に迷惑をかける恐れが多大にあるので
欠席させることにする。

 その旨連絡帳に記入して娘の友達に持っていってもらう。
(娘もこの3日間頭痛で学校を休んでいる)
程なく担任より電話がくる。母が受け、是非参加させてくださいとのことで連れて行こうとするが、
本人は既に行く気がなく、そのまま欠席させる。
「学校・休んじゃったね」と私が言うと「うん」とだけ答える。

2月16日日曜日
学校祭り開催
私は役員の為、朝から学校に行く。最近は祖父の体調が悪く、
息子の面倒を頼めないので娘に頼み出かける。
10時頃娘が友人と息子を連れてやってくる。
準備の最中に担任と会い、昨日の様子を話す。
 学校行事の前日に担当のH先生の肩をポンと叩いて
「また明日ね」と言って帰ったらしい。
とても残念がっていた。


2月17日月曜日
学校行事振替休日
教育総合相談センターに電話する。
現状を説明して相談するが、市には「補助教員」制度はなく、
「情緒障害児学級」=「特別支援学級」=「特殊学級」との説明を受ける。
また、登下校のみに付き添う「介助員」の要請を勧められる。
「特殊学級」は親の希望があれば編入できるはずとの説明も受ける。
しかし2学期に断られた旨を説明すると養総に相談するように勧められる。

また養総を飛ばして教育委員会に申し立ては行政の手順上、出来ないと言われる。
私の調べでは川崎市は親の要請があれば「補助教員」がつくし、
東京都でも,「補助を必要とする」と言う校長の具申により,区教委の承認を得て,担任の外に,
「補助員」が可能で、その「補助員」は、現役の大学生で、月10万円程度の「給料」は区が
支出しているのに、市には制度が整っていないと知り、改めて教育の各市のばらつきと、
不透明さに戸惑いを覚える。

2月18日火曜日
■■療育園/言語科学習
休み明けで、やはり落ち着きがなく、校長室にも行かず、
国語の授業中には友達を渡り歩いていたと記載あり。
養総に「とにかくほめる」と指示されたが次から次へと引き起こすいたずらで
中々ゆっくりほめることが出来ない状態との事。
 しかし言語科では、「子」「川」「大」「小」などの文字を読み、また「森」と漢字で書き、 
担当の先生が3学期に入ってからかなりの上達が見られると驚いていた。

学校での様子を相談すると、「この子のいたずらに理由はないんです。
咄嗟に手がでてしまうだけ。悪気はないし、わざとでもないんです。
だから多動なんですよ。
そういうときは、
気持ちを受けとめてどうすればよかったかを話し合うといいですね」との
アドバイスを受ける。

そのお話を聞いて、多動児の教育にはやはり専門の知識を持った人に携わって欲しいと
改めて思う。


2月19日水曜日
ハサミで他の子の給食袋の紐を切ったり、マスクの紐を切ったりしたと記載あり。
誉める事が中々少ないと記載あり。
家でも注意をするが、「はい」と返事はするが、中々改善できないことに焦りが募る。
休み時間の過ごし方も配慮してもらえないかと伝えるが、休み時間は外で遊ぶことが多く、
ハサミで切ったのは授業中だった旨返答がくる。

2月20日木曜日
市長に嘆願文書をFAXする。(4回目)※市長への手紙

2月21日金曜日
上履きを履く事が習慣化されてきた旨記載あり。
また幼保交流会の練習には参加せず舞台に上がったり、マットで遊んでいたと記載あり。

2月25日火曜日
区役所の「子ども・家庭支援相談」に電話をするが、日程的に都合がつかなかった。
幼保交流会
初めは落ち着きがなかったが、何とかグループ行動ができたと記載あり。
■■療育園/言語科学習 
漢字を使った学習及び、文章を使った算数問題に取り組む。

2月27日木曜日
マラソン大会
着替えもせず、参加もしなかったと記載あり。
校長先生が勉強の為に迎えに来ても、クラスを動かず、ここで勉強すると言い張った旨記載あり。
3月の懇談会で父母に説明をしたいので、時間をとってくださるように伝える。

2月28日金曜日
朝から調子が良くなく、友達の机を渡り歩き、授業の邪魔をしたと記載あり。
校長へ電話をして懇談会前に話し合いたい旨伝える。

3月3日月曜日
学年末懇談会
懇談会前の13時から校長と話す。病名は伏せて現状とこれからの見通しと、
ご迷惑をおかけしていることについて謝りたい旨伝える。
校長より新年度からは校内支援を本格的にやっていきたいと話しあり。
新学年の担任がわかり次第、話しをしたい旨伝えるが(学期が始まってしまって、また立ち歩き等を初めに許してしまうと甘えになるし、2年生に進級するのは新たな転機だと考えた為、
学期が始まる前に新担任と打ち合わせをしたかったので)主旨は理解して頂いたが、事前に
教えることはできないが、7日のクラス発表が終わり次第電話にて知らせてくださる旨お話あり。
また、当日に新担任と話したいと告げるとそれは了承してくれた。
懇談会の話しの内容の大筋は下記の通りだった。

・ご迷惑、ご心配をおかけしていることについての
謝罪
・軽度の発達障害であり、
言語性と動作性に差があり、言語能力が低い為、言葉の理解、
 言葉での表現および、先のことを見越して行動することが
苦手であること
・現在は
2箇所の病院で3箇所の診療科に通い、生活指導等を受けていること
・この障害は一生続くものではなく、
 正しい習慣によって
小学校中学年頃には落ち着くと言われていること
・私から見ればこの1年で驚くほど成長したこと
・担任の先生をはじめ、校長先生、副校長先生、
全職員の方々にお世話になっていること
・学校側には入学当初から話してはあったが、父母の方々に説明ができなかったのは、
 
解決策がなく、かえって不安感を強めてしまう恐れがあったこと
・昨年11月に
文部省、今年に入ってから市長に4回嘆願書を送ったが、
 お
返事が頂けていないこと
・2学期より
補助教員等の要請を市に対して行っているが、実現できないこと
・私も昨年6月に仕事を辞め、パートをしながら学校へ様子を見に行ったり、
 講演会や親の会などで勉強を続けているが
中々改善できないこと
・周りの児童、父母の方が不安に思われないよう、これからも
努力すること、
 また、不安等があれば、
説明するので連絡がほしいというこ
・週に1回
言語科に通っていること

懇談会終了後には数人のお母さん方から励ましの声を頂く。
学校には何か不安の声があったら知らせてくれるように連絡帳にてお願いする。

3月4日火曜日
■■療育園/言語科学習 
午前中に学校長より携帯に電話を頂き、
昨日の懇談会の内容について
『とてもわかりやすく、担任にも聞いたが、
周りの父母もよく理解してくれたようだ』
とのお話あり。
また、言語科通院の為に息子を迎えに行くと、
担任の先生より市長に出した嘆願書の件で
市から学校に書類が来ていて、
懇談会での私の話した内容をもう一度知りたい旨申し出が
ある。明日提出する旨答える。


3月5日水曜日
給食の時間にK君と喧嘩をして野菜をこぼしてしまったが、自分の悪さを認め、
片づけをしたとの記載あり。少しずつ成長が見られるとコメントあり。

3月6日木曜日
他の先生方も何かと気にかけてくださっていると記載あり。
本日は校長先生が不在の為、職員室でパソコンを打っていたと記載あり。

3月7日金曜日
居残り授業を嫌がるので、少し様子をみる旨記載あり。

3月8日土曜日
子供会お別れ会。
1時間30分の時間をちゃんと着席し、お喋りもしないで過ごせた。

3月10日月曜日
上の子の懇談会の後、息子の教室に行くと、担任の先生が居たので、少し話しをする。
校長が養総の紹介で補助教員を要請したと話しあり。
また、予算が出ることになったので、具体的になるであろうと話しあり。
最近は友達を傷つける等のトラブルはないとのことだった。
しかし、授業中に授業の妨害をしたり、勉強を嫌がるのは相変わらずだそうだ。

3月11日火曜日
◆◆◆医療センター精神科受診。
テグレトールの量が倍量(200mg)になる。
4月より精神科担当の先生が転勤になるので、次回から他の先生になるとお話あり。
■■療育園/言語科学習 

3月13日木曜日
◆◆◆医療センター療育科受診
引き続き行動を促し、誉め言葉とご褒美の指導を受ける。

3月14日金曜日
原宿に『キダム』を見せに行く為に、学校を休ませる。
3時間講演を何とか途中、休憩をはさみ、鑑賞した。夜は恵比寿のホテルに泊まる。

3月17日月曜日
ADHD親の会出席
市内の他の学校のお母さんのお話を聞くことができた。
同じ市内でありながら、指導の充実の違いを感じる。
その方の学校では、障害児学級と通常学級をうまく利用して、学校生活をしていると言う。

3月18日火曜日
■■療育園/言語科学習
学校にお迎えに行った時に、Mさんより息子にハンカチを投げられてなくなってしまった、と言われ、
教室内を一緒に探すが、見つからず、新しいものを買い、夜にMさん宅に電話し、
お母さんに事情を話し、お詫びと新しいものを受けとってくれるようにお願いする。
木曜日に担任経由で渡す旨を告げ、その旨連絡帳に記載する。
その際、ハンカチがみつかった場合は洗濯して返したいので息子に持たせるようにお願いする。
担任からも探してみる旨、返事あり。

3月24日月曜日
一年生大掃除の手伝いの為学校に行く。
息子の様子はとても落ち着いていて、一生懸命掃除をしていた。
また、Mさんより『ハンカチが見つかりました』と教えてもらう。
新しいハンカチはそのまま使って欲しいとお願いする。担任からの連絡は結局なかった。
また、担任からは二年生からは色々対応も変わってくるようだと連絡帳に記載あり。

3月25日火曜日
3学期終業式
■■療育園/言語科学習



3月26日水曜日
学童登校
久しぶりの学童登校で、少々疲れ気味だったが、
おやつを先生と買いに行ったことなどを話してくれる。

3月27日木曜日
学童登校
帰りにお弁当箱を忘れたらしく、学童の先生が自宅まで届けてくれる。
また、○○小学校より情緒障害児学級の認可が下りた旨、電話がくる。
くわしい説明会は4月8日に○○小学校に行く事になる。


3月28日金曜日
副校長より電話がくる。情緒障害児学級通級の認可の書類作成の為、
3月31日に来校する旨指示あり。

また、担任より払いこみの書類を持ってくる旨、電話あり。(祖母が電話を受ける)

3月29日土曜日
学校に払いこみの書類を持参する。副校長には後日電話する旨、言付ける。
(31日は旅行の為来校不可能なので)

3月30日日曜日
品川プリンスホテル宿泊。部屋から品川駅が一望でき、飽きずに写真を撮っていた。

3月31日月曜日
副校長に電話をし、4月1日に来校するよう指示を受ける。

4月1日火曜日
学校に行き、情緒障害児学級の通級の書類を読んで押印する。
■■療育園/言語科学習

4月2日水曜日
◆◆◆医療センター療育科受診
通知表、観察記録などを見せる。引き続き行動の促しと、誉め言葉、ご褒美の観察を続ける。
また、
2年生の担任とは早々に話をし、理解を求めたほうがいいと、助言あり。
また、そのうちに学校に連絡をとってみたいと申し出あり。
受診時間は2時間かかり、息子はしきりに帰りたがっていた。

4月3日木曜日
学童登校
学童では新1年生が登校して来ており、保育園で一緒だったMちゃんがいたよ、と教えてくれる。

4月5日土曜日
副校長より電話あり。新担任との話し合いについて7日の4時からと指示あり。


4月7日月曜日
始業式。
上の子供の中学入学式後、午後3時45分位に学校に行く。
廊下で前担任の先生と会うことができ、少しの時間、話をする。
 校長室にて校長、副校長、新担任と話をする。
校長より今年度の方針として、校長、副校長に加え、専科の先生も手の空いている時に
息子の個別指導の手伝いをして下さることになる。
週に7〜9時間の個別指導の時間がとれるであろうとの話があった

また今年度からは情緒障害児について積極的に取り組み、
推進校として教育委員会に承認を受けたとの話もあった。

教師にも勉強の場を設け、またその際には父母の立場から話をしてほしいとの要請もあった。
また、本校の特学は情緒障害児学級と知的障害児学級を併せ持った性質であり、
昨年性は11人の児童、本年は9人の児童を3人の担任で受け持っており、
息子と在籍児童とではやはり質が異なる為、すぐに移籍は難しいとの話もあった。
また「市長への手紙」について、校長より少し話がでたが、
養総から問合せの電話があったとのことだった。
内容についてはコメントはなかった。
 
新担任の先生は自閉症児も受け持ったこともあり、また本校でも特学で担任も
受け持ったこともあるという先生で、受け入れる力、受けとめる力のある先生だと感じた。

私からの要望としては、まず成長したであろう息子を見て頂き、
その都度対応を考えていきたいとお願いをした。
息子は担任が変わったことにも興味がなく、話しても反応もなかった。

4月8日火曜日
午後より○○小学校に通級の説明を聞きに行く。
終始、私の側を離れず、先生の指示にも全く従えなかった。
また、
「もう2度と行きたくない」と帰りの車の中で言っていた。

4月10日木曜日
起きた時から足が痛いと四つん這いになって歩く、痛む足は右足だったり左足だったりするが、
ガンとして歩けないと言い張るので学校を休ませる。
行き付けの小児科に連れて行くが、診察室に入る頃には「痛くなくなってきた」と自分で歩いた。
先生の話では精神的なものでしょうとのことで、様子をみることになった。

4月12日土曜日
祖父と急に旅行に出かける。行き先も戻りも不明で、結局15日火曜日に帰って来る。

4月14日月曜日
旅行から戻らず学校を休ませる。
また、15日予定だった言語科指導が本日に変更になっていたが、本人不在の為、休ませる。

4月15日火曜日
創立記念日の為学校は休み。夜に旅行から元気良く帰って来る。

4月16日水曜日
午後より◆◆◆医療センター受診の為、学校に迎えに行く。
先生が子供達に「これから病院に行くから早退です。」と説明すると、
みんな気持ち良く「さよなら」と挨拶をしてくれた。

午後2時より療育科受診。最近は学校でも落ち着いていて、家でも家庭指導を守れているので、
一旦家庭指導の記録は中止となる。様子を見て次回に新たな指示を考えるとのこと。
 午後3時30分より精神科受診。
本日より担当の先生が高橋先生に変わる。(前任先生が転勤の為)
簡単な経過説明と、最近よく疲れることを話すとテグレトールの量を200mgから100mgに
減量してもいいでしょうとのことになる。

病院から帰り、祖父に旅行中の様子を聞くと、投薬無しでも全く問題がなさそうだったので、
薬の服用を中止してみる。

4月18日金曜日
時間割を揃える時に、
「今日は時間割を連絡帳に書いてきたんだよ」と見せてくれる。
『さんすう、生かつ、どうとく、こくご』と大きな文字で書いてあった。

4月21日月曜日
午後から授業参観。
教室での
息子の席は最前列の廊下側で、隣りには席はなく、一人で学習する形になっていた。
教科は国語で、読みながら数人のグループが劇を進める学習だった。
先生に促されて教科書を読むが、集中力は続かず、机にうつ伏せたりしていた。
途中、文章の書き取りは時間内にやりとげ、提出できた。
自分のグループの発表の時は
「やらない」と拒否したが、私に注意され、
何とか用意はするものの、
「ここでやる!」と席から動かなかった。
一緒に教科書を読みながら何とかセリフを言ったものの、小声で殆ど聞き取れなかった。
 しかし途中、離籍はなく、また大声を出すなどの授業妨害も見られなかった。
帰り仕度は自分で行い、傘も忘れず持ち帰った。(学校の傘と色が同じで間違えて持ちかえる)
 懇談会では先生より家庭生活の重要性、また2年生の過ごし方などのお話があった。
懇談会終了後、担任の先生が話しかけて来てくれる。
今は教室内で、時々補助の先生について頂いて授業を進めているとのことだった。

また、友達とのトラブルはなく、好きな友達に抱きついたりはするが、
注意すれば理解できるとのことだった。
 体育の授業などは参加しないこともあるが、グランドには居て、教室内授業においても、
みんなと同じ空間にいるとのことだった。
夕方、○○小学校から電話がくる。通級指導日が毎週火曜日の9時から12時になったこと。
◇◇◇グループで、2年生の5人体制(内一人が女の子)で進めること等の説明を受ける。

4月22日火曜日
■■療育園/言語科学習
久しぶりの言語科で、取り組むまでに時間がかかったが、何とか課題をこなす。
言語科に行くのは嫌がらず、受け入れている。

4月22日火曜日・23日水曜日
学校にて標準学力検査。
しかし、自分で文字を読むことが苦手な為、連絡帳には学力検査は難しいとの記載あり。
23日には連絡帳に自分で翌日の時間割を書いて来た。

4月26日金曜日
連絡帳に翌週の時間割を書いて来る。

4月30日水曜日
午後より◆◆◆医療センター精神科受診
薬の服用中止を申し入れる。(食欲不振・倦怠感の為)
連休に中止してみて、様子を見、又学校での様子を聞き、
担任とも相談するように勧められる。

服用を中止しても改善がみれない場合は他の原因を探ることになる。

 同日同センター療育科受診
3月より問題行動の減少の理由について尋ねられる。
言葉の発達が考えられる旨、返答をする。
途中20分ほど先生と息子だけで、別室にて簡単なテストを行う。
担当医師より学校に行きたい旨打診がある。
当面は行動観察を続け、また2週間後に受診することになる。
また、連絡帳には28日の火災訓練時には、運動場で皆の前でちゃんと座れていた旨記載あり。
また市長より先に4回に渡ってFAXした「市長への手紙」への返答が手紙にて来る。
行政の対応ページ参照) 
結局補助教員は実現しなかった。

5月1日木曜日
知人の紹介で、県会議員の××さんから電話を頂く。
簡単な経過説明をし、2年生になって落ち着いたことを話す。
また、市長からの回答を頂いた旨を話す。
 午後より○○小学校の入級式に出席する。
落ち着いた様子で、名前を呼ばれるとちゃんと返事をし、指示にも従えた。

5月2日金曜日
県会議員の××さん宛に市長からの返事をFAXする。
その後お電話を頂き、現状特殊学級への編入を希望しないのなら、落ち着いているようだし、
しばらく様子をみてみましょうとの事になる。
また、何かあったら相談するようにと気遣いも頂く。

5月6日火曜日
○○小学校通級指導
比較的スムーズに登校する。職員室で挨拶をして、先生に連れられて教室に行く。
途中の経過を先生から聞くが、体育は着替えなかったが、途中から参加したそうだ。
プリント記入はできなかったが、何とか嫌がらずに3時間を過ごした。
■■療育園/言語科学習
○○小より一旦帰宅し、昼食を済ませ行く。
行く時に電車が見たいと言うので、勉強をがんばったら帰りに見せに行く約束をすると、
驚くほど夢中で課題に取り組んだ。約束通り、新横浜まで新幹線を見に連れて行く。

5月5日月曜日
家での取り組みとして進研ゼミを始めてみる。
付録のミニトマト栽培に興味を持って、
『学校でもやったよ』といいながら水をやっていたが、
勉強の方はあまりやりたがらなかった。

5月7日水曜日
この日、始めて鍵を持たせてみるが、約束を守れず姉の部屋のゲームを勝手に使い、
鍵の保管もちゃんとできなかったので、鍵を取り上げる。

5月8日木曜日
家庭訪問。学校での様子を聞く。また当小学校が
情緒障害児受け入れ推進校になった事を聞く。
担当は息子の担任の先生で、養総と連携をとりながら進めて行く旨を聞く。
また、私にできることがあれば協力する旨伝える。
 学校での様子は1時間集中すると次の時間は教室内で自由にさせるなど、
先生が理解と工夫をしてくださっているようで、安心する。
また家での勉強方法として国語の教科書書き取りと音読を勧められたので、
早速やってみる。2ページだけということで、丁寧に書き写すことができた。

学童登校。約束を守ってちゃんと行く事ができた。

5月11日日曜日
教科書2ページの書き取りをやらせているが、今日は気分がのらないらしく、椅子を蹴ったり、
喚いたりしたので、ゲームボーイを取り上げると泣きながら部屋を出て行ったが、
30分程で戻って来て
「さっきはごめんなさい」と謝ることができた。結局課題はできなかった。

5月13日火曜日
○○小学校通級指導
2回目の今日は前回よりスムーズに行動ができた。途中マジックミラーで、図工の様子を
観察すると、最初は机をガタガタさせていたが、
課題に取り組むと、離席することなく最後まで
作品を仕上げていた。

体育の授業ではちゃんと着替え、先生の指示に最後まで従うことができた。
■■療育園/言語科学習
2日前より約束が守れずゲームボーイを取り上げていたが、
今日、ちゃんとできたら返す約束をしていたので、集中して課題に取り組んだ。
2年生レベルのプリントを先生に手伝ってもらいながら、することができた。

5月14日水曜日
午後より◆◆◆医療センター精神科受診。
テグレトール中服用中止後の学校での様子、家での様子を伝え、(特に変化はなかった)
正式に服用を止する。

その後療育科受診。簡単な問診、行動観察の後、別室でテストを行う。(WISKV)
養総と連絡を取りたい旨申し出があったので了解した。
また、家庭での勉強は無理にさせることなく様子を見ながらでいいのではとのアドバイスを頂く。
確かに最近は学校でも通級でも言語科でもがんばっている様子なので、考え直すことにする。

5月15日木曜日
学童登校。

5月19日月曜日
遠足予定日だったが、雨天の為中止。
当日朝はランドセルで行くかリュックでいくかで本人は相当悩み、
外の他の子供を様子を見て、リュックで登校した。

5月20日火曜日
○○小学校通級指導
スムーズに登校、部屋には友達と走って入って行った。
マジックミラーで授業の様子を見る、だいぶ慣れて来たせいか、
勝手に喋ったりすることが多かった。
体育の授業は親と一緒に行う。先生の指示にも従え、後片付けもちゃんとできた。
■■療育園/言語科学習
集中力が無く、課題に中々取り組むことができなかった。
先生は私に気遣ってくださって、
見ているのが辛いなら途中で離籍してもいいですよと言ってくださった。

5月22日木曜日
延期になった遠足の日程が27日火曜日になった旨、連絡帳に記載あり。
晴れていたら遠足に参加、雨天だったら通級指導及び言語科に行く旨伝える。
○○小にもその旨連絡し、言語科はお休みとする。

5月26日月曜日
課外授業(外)では元気だが、算数や国語の時は気分が乗らず、
中々できないことが多いと記載あり。

プリントを持ち帰った時は家で学習させるように指示あり。
姉が学校の合宿で、祖母も旅行の為学童に行くように言うと、
ちゃんと学童で私のお迎えを待っていることができた。

5月27日火曜日
遠足予定日だが、天気がはっきりしないので7時30分に学校に電話を入れるが誰も出ず。
雨は上がっていたので8時に遠足の用意で登校させる(8時30分集合・出発となっていたので)が
8時15分に担任より6時30分の時点で雨が降っていたので中止になった旨電話を頂く。
本人は学校に行くつもりで登校した後だったので、連れ戻しても気持ちの切替えができないだろう
からそのまま学校で授業を受けるようにお願いする。
 ○○小には電話を入れてその旨説明・了解を頂く。
学童には今日もちゃんと行き(ただし学校の帰りに友達と公園で遠足のお菓子を食べたと聞く)
私のお迎えを待っていられた。

5月28日水曜日
学童登校。私の指示通り、午後5時に一人で帰って来れた。
学童では大人しくマンガを読んでいる時が多く、また新1年生と遊んでいたとの記載あり。

6月3日火曜日
○○小学校通級指導
タイムの時間をマジックミラー越しに見学する。
視覚を使った遊びで、集中して取り組んでいた。
控え室に戻ってくると、
「来週はお休みで、その次はプールの用意をしてくるんだって」
熱心に話していた。

■■療育園/言語科学習
言語化の通院も今月で1年たったので、昨年やったWISK―V検査を行う。
プリント課題とは違い、色々な形式の問題がでるので、比較的集中して取り組んだが、
言葉による質問にはよく考えずに
「わからない」「知らない」を連発していた。

6月4日水曜日
午後より◆◆◆医療センター療育科受診
カウンセリングの後、前回に引き続き息子と先生だけ別室にてWISKV検査を行う。
検査内容、結果についてはまだ説明はなし。

その後、先生と話して現状落ち着いているので、受診回数を徐々に減らしましょうとのことになる。
次回受診は7月17日の予定となる。

6月10日火曜日
○○小学校通級指導は休みの為、登校させる。
■■療育園/言語科学習
見学の先生が一人つくが、前回に引き続きWISK―V検査を落ち着いて取り組む。
やはり言葉の質問にはあまり答えず、
得意な検査には
「簡単だよ」と意欲を見せた。

6月12日木曜日
連絡帳にて6月14日の土曜参観の欠席を申し入れる。
理由としては本人は今は通院、通級とがんばっていること、
しかし他の父母の方には理解できないであろうことから刺激をしたくないことを伝えた。

担任より離れて見ていてはとの提案を頂く。しかししんどいなら欠席も了解との返事を頂く。
連絡帳でやはり今回は事情を知らない父親達も参加するだろうから、
不愉快な思いはさせたくないので欠席する旨伝える。
担任よりわかりましたとの返事を頂く。

6月14日土曜日
土曜参観日
欠席させる。息子に次回は出席させてねと言うと、「でも疲れる」との返事が帰ってきた。
参観に行ったKさんのお母さんよりメールを頂く。

『みんなに迷惑かけちゃうから休みなんだって』と自分の子供に聞いたらしい。
何でそんなことを生徒に説明したのか気になったがその通りだと返事を返す。

6月17日火曜日
○○小学校通級指導
お話タイムの時間をマジックミラー越しに見学する。
机をガタガタさせてり、時々勝手に発言する姿が見られるが離席はなかった。
また、この日よりプール指導が入る。水を怖がらないので、先生からも誉め言葉を頂く。
何か自信をつけたいと思い、言語化の後に近くのスイミングスクールを見学に行くが、
他の教室の極真カラテの方に興味を示すが、「通う」という決意は見られずひとまず保留にする。
■■療育園/言語科学習
引き続きWISK―V検査を行う。

6月20日金曜日
通級指導教室の担当先生が学校訪問に訪れる。
国語の時間で補助についてくださった先生から黒板に「谷ま」という字を
自分から進んで書いたと連絡帳で知らせて頂く。
本人せもとても嬉しかったらしく、私の帰宅後
「連絡帳を見て!」
自分からランドセルから取り出して見てくれる。
誉めるととても照れくさそうに布団の中に隠れて顔だけ覗かせて笑っていた。

6月24日火曜日
○○小学校通級指導
図工の時間をマジックミラー越しに見学する。
工作は興味があるらしく、先生の指示にも従え、落ち着いて取り組んでいた。
■■療育園/言語科学習
引き続きWISK―V検査を行う。 
検査の結果は言語性IQと動作性IQの
差がかなり縮まってきたと説明を受ける。

6月26日木曜日
風邪の為、欠席をする。
また、
連絡帳にて25日に校内の先生方を対象に学習会を開き、理解を深めた旨記載あり。
また、25日の「まちたんけん」では元気に泥投げをして帰ってきて、
体操服に着替えていた旨記載あり。

6月30日月曜日
学年懇談会
先生より息子の行動に関して出席したお母さん方に説明がある。
また、遠足の作文を読んで下さる。
 懇談会終了後に個別に先生とお話をする。トラブルについては1学期始めに1回友達を叩いて
しまったことがあったが、その後は一切ないとのお話を聞く。
クラスの子供たちも息子のことを理解し、
また息子も楽しくみんなと関われるようになっているとのお話を聞く。

7月1日火曜日
○○小学校通級指導
七夕の短冊を作る。1枚目には
「ポイントをがんばってとる。」(通級教室でのがんばりポイント) 
2枚目には
「でんしゃにのってうみにいきたい」と書いてあった。
■■療育園/言語科学習
通常課題に取り組むが、やはり
取りかかりの悪さが目立つ。
それでも通院を嫌がることはない。

7月8日火曜日
○○小学校通級指導
タイムの時間をマジックミラー越しに見学する。
神経衰弱のカードゲームをルールと順番を守り最後まで集中して取り組んでいた。
教室から戻って来ると
「ママ、次は9月2日なんだよ〜」と抱きついてきた。
通級教室の友達の名前を覚え、楽しく1学期を過ごすことができた。
■■療育園/言語科学習

7月15日火曜日
ここ1〜2週間友達が遊びに来ていないようなので、連絡帳で先生に何かあったのか
聞いてみるが、特に気になることはないとのお返事を頂く。

本人に聞くと
「僕は誘っているんだけど、お友達が用事があるんだって〜」との返答が返って
来る。先生から放課後に虫探しに出かけていることが多いとの返事も頂く。
午後から言語科だが、帰りが遅い為、学校の坂の下まで迎えに行くと、5〜6人の友達と
(他のクラスの子供もいた)木の下で虫取りをしていた。
■■療育園/言語科学習
時々カタカナや漢字を読み、誉められると嬉しそうに取り組んでいた。

7月17日木曜日
午前中○○小学校通級指導教室の担任の先生との個別面談。
物事を順序だてて考える力はあると聞く。
ただ、初めてのことに取り組むことには抵抗感が強く、
逆にわかってしまえば積極的に取り組むとお話を聞く。

 学校での様子を話し、また、学校訪問の時のお話を聞く。
担任の先生はとても上手に指導にあたってくださっていると話していた。
午後より◆◆◆医療センター療育科受診。
これまでの生活を伝え、WISK−V検査をした後に、特に目だった問題行動が
治まっているので、受診を半月に1度にすることになる。次回は11月受診。


7月18日金曜日
1学期終業式。体操服、上履き等忘れずに持ちかえる。 
しかし「あゆみ」は
白紙評価だった。本人は気にしている様子もなく、進んで見せてくれた。


 これは平成15年までの記録です。
あれから1年以上が経ちました。 息子の様子はだいぶ落ち着いてきたようです。
しかし、
『障害』は治らないから『障害』なのであって、
息子のように目に見えない
『障害』はこれからも多くの手を必要としています。
 親でありながら何をすればいいのか、どうすればいいのか、
何ができるのかを考える毎日でした。
時には息子を叩きました。殴りました。罵倒もしました。
そして、泣き疲れて寝ている息子を見て、私も泣きました。


 今、このページを読んで下さっている方々も、息子と同じような
『障害』を持ち合わせている
お子様のご両親、またはご本人、または周囲の方たちだと思います。
 他人には理解しがたい苦渋の毎日を過ごされている方たちも多いと思います。
私もそうです。毎日が苦しかったです。 そして死んでしまいたかったです。
だけど、私は死にませんでした。生きています。
生きていることにはきっと意味があるのだと思います。
 
少し肩の力を抜いて深呼吸して下さい。 
 共に頑張っていきましょう。